サトウキビ王国のあった島 沖縄県大東諸島の旅その3
二日目の朝も快晴に恵まれた。風もほとんどなくサイクリングにはもってこいの日和。さっそく島一周に出かけることにした。
集落から島の西側にかけてはシュガートレインの廃線跡を利用した小道が延びている。両脇に植樹された木々が緑のトンネルを作っていて、木漏れ日がきらきらと注いでいた。ちょっとした幻想的雰囲気である。自然とペダルを踏み込む足取りも軽くなり、うきうきするような気持ちに浸りながら漕ぎ進んだ。
途中、塩屋海水プールに立ち寄ってみた。ここは岩礁をくり抜いて作った天然のプールだ。残念ながらこの日は潮が高く、プールは海に埋もれてしまっていた。激しく白波が立ち、ゴツゴツした岩の海岸が見える限りに続いている。絶えず波に洗われている岸壁は草木一本たりとも生えていない。
自然の厳しさを見せる波打ち際と、さっきまでの穏やかな内陸部とのギャップがすごい。平坦で広大な広がりをみせるサトウキビ畑の中にいると、ときどき忘れてしまうけれど、ここはやっぱり長年、人を拒み続けてきた絶海の島なのである。
開拓民が訪れる以前の南大東島の自然史も、開拓史と同じぐらいの魅力を持っていて面白い。
南大東島はもともと4800万年前に赤道直下のニューギニア近海で生まれた火山島だと言われている。誕生後、火山島は海中に沈下するものの、火山の頂に珊瑚礁が堆積し、数度に渡る隆起を繰り返し再び海上に現れた。珊瑚礁でできた島というのは南大東島に限らず他にも例があるが、ここは環状に珊瑚礁が形成された状態で地盤が表出した隆起環礁の島として世界でも珍しい存在となっている。
僕は島を平坦と表現したけれど、隆起環礁というのは実際には外縁部から中央部に向かって緩やかに窪んでいる。このような形であるため、本来海沿いに生育するはずのマングローブの森が内陸に取り残された形で見ることができるのも南大東島の極めて稀な特徴の一つとなっている。
誕生以来、どの大陸とも陸続きになったことがなく、フィリピン海プレートに乗って北上し、長い時間をかけて現在の海域までやってきた。隣の北大東島も同じように隆起環礁の島で、南大東島とは海の底に沈んでしまった火山島で繋がっている。いわば双子の兄弟みたいなものなのだそうだ。
島の移動は今もまだ続いていて、一年間に7センチずつ北西に進んでいる。
それを示すのが北部にあるバリバリ岩で、その名前の響き通り、大岩が真っ二つに引き裂かれて、狭いところでは幅1メートル程度の回廊となっている。
じっとりとした湿り気が滞留する回廊の奥には一本のビロウヤシが立っていた。まっすぐに光の射す方に向かって伸びていて、迷いがない。その姿はどんな過酷な状況でも決して諦めない力強さを備えていて、一見の価値があると思った。
午前中をかけて島を一周し、集落に戻って昼食を食べた後、もう一度自転車を北へ走らせた。星野洞を見学するためだ。
珊瑚礁の島である南大東島の地盤は石灰岩でできていて、地下にはあちこち鍾乳洞が形成されている。中でも最大級の大きさを誇るのが星野洞で、東洋一美しい鍾乳洞とも言われているそうだ。
そんな南大東島の目玉とも言える星野洞だけれど、受付小屋にも鍾乳洞の入口にも鍵がかかっていて誰もいなかった。絶対的な観光客数がいないので、常駐するのを止めてしまったようだ。貼り紙が貼ってあって、「電話で呼んで下さい」と書いてあった。パンフレットには「予約した方が無難」と書いてあったけれど、「予約しないと見れません」に訂正した方がいいのではないだろうか。
電話をすると15分程で係員が来てくれたのだけれど、この後の対応も"らしさ"が溢れていた。
ガイド音声の入ったタブレットとヘッドセット、懐中電灯を僕に渡した後は「それじゃあ私は他の仕事があるので
」と帰ってしまったのだ。借りた機器は見学を終えたらそこのダンボールに入れておいてください、とのことだった。この緩さが南国だなぁと思わずにはいられなくておかしい。とはいえ、これで僕も相手を気にせずゆっくりと鍾乳洞見学ができるので、この放ったらかしシステムは実は理に適った対応であったりもするのだった。
地下へと潜る50メートル弱の通路が延びている。突き当りの重たいスライドドアを開けると、むわっとした湿度に途端に包まれた。そこには数千、数万のおびただしい数の鍾乳石が空間内を埋め尽くす異世界が展開されていた。
剣山のようなつらら石の塊、天井から注ぐミネラルを受けてタケノコのように伸びる石筍(せきじゅん)、極太に成長して島の岩盤を支えている石柱など様々な形をした鍾乳石が照明でライトアップされて、神秘的にそして怪しげに光っている。
ひんやりと、そしてとても重たい空気が充満していて、立っているだけでも体力が奪われていくようだ。無理もないのかもしれない、なにしろ今僕は島の歴史そのものと対峙しているのだから。
鍾乳石は、天井から伸びるもので100年で1センチ、地面から伸びるものは300年で1センチのスピードで成長すると言われている。雨水に溶けた石灰成分が一滴ずつ固まってこの奇景を生み出している。僕の人生などここでは僅か3ミリに過ぎない。
人の持つ時間の儚さと悠久の時を刻んできた鍾乳石の長大なスケールと。相反するかのような二つの時間感覚を同時に感じる不思議な場所だった。
最深部の少し手前のところで妙なものを発見した。何だろうと目を凝らしてみるとガラス瓶がいくつも転がっていた。係員も帰ってしまう鍾乳洞だから、どこかの不届き者がゴミを捨てていったのかと思ったが、真相は違っていた。
南大東島には高校がないため子供たちは15歳になると全員が島を出る。その際に、泡盛を鍾乳洞に置いていくのが島の慣習なのだそうだ。鍾乳洞の環境は泡盛を熟成させるのに最適で、5年後、子供たちが帰ってくる成人式の日に家族で飲み交わすのだという。
なんて切なくて暖かい習わしなんだろう。星野洞の地下深くで、その日を待つ約束の泡盛に僕はしみじみとした感情を覚えた。
地上へと戻る帰り道、今年、中学を卒業した子供たちの寄せ書きが飾ってあるのに気がついた。
「自分の夢に向かって頑張ろう」
「島の人に恩返しするために帰ってきます」
「成人式で会ったときは一緒にお酒を飲みましょう」
一つ一つのメッセージが前向きな言葉で綴られていて、どこか大人びた落ち着きも感じられた。反抗期真っ盛りだった自分の15歳の頃と重ねてみるとぜんぜん違う。15歳で島を離れなくてはならない運命が彼らの心を大人に引き上げているのかもしれない、と思った。
星野洞は地震が少なく、状態の良い鍾乳石が多い鍾乳洞として知られている。そんな貴重な鍾乳洞が実は泡盛の熟成貯蔵庫になっていると、その手の専門家が知ったら卒倒してしまうかもしれない。昔は子供たちの遊び場でもあったため折れてしまった鍾乳石もあったそうだ。
もし星野洞が本土や本島にあったとしたら間違いなく規制されていただろう。でも、ここが、遠く離れた南の島だったから残った。それでいいのだと思う。
途方もない時間をかけて、今でさえ成長と漂泊を続ける島の自然史と、苦労を重ねて土地を切り拓いた人々の開拓史とが交錯する場所。それがこの星野洞なのだった。
(次週へ続く。沖縄県大東諸島の旅は全4回を予定しています)