各国・各地で 風のしまたび

海の大河を越えて 東京都伊豆諸島の旅その1

2016年11月02日

「いいですか、絶対に転ばないでください。自転車で転んだら死にますからね。いや、笑い事じゃなくって。本当に死にますからね!」
波止場で自転車を組み立てていると、念を押すように警告された。地元民との最初の会話が「転んだら死ぬ」だなんて世界中で初めてである。刺激が強い言葉に少しどころか、かなりドキリとしてしまった。
でも、この島に限っては、それもあながち冗談ではなさそうだ。見上げる切り立った絶壁はところどころ崩れ落ちていて、そこをコンクリートで無理やり固めてあって異様な険しさである。自然と人間の絶え間なく続くせめぎ合いは、何かあったら、死ぬ。そういう厳しさが歴然と伝わってくる。

ここは青ヶ島。聞き慣れないかもしれないけれど、れっきとした東京都の島である。

意外かもしれないが、東京都は実は隠れた離島大国だ。都が管轄する島の数は330島で、これは都道府県別で沖縄県に次いで六番目にあたる。その中には世界遺産の小笠原諸島や、日本の最端である沖ノ鳥島や南鳥島といった島々も含まれているのだから、日本の島を語る上で東京都の島は外すことができない存在感を持っている。

そんな東京都の島の中で、一番身近な島といえば伊豆の島々だろう。伊豆諸島の有人島の中で最北の大島は、高速船で二時間足らずで渡ることができるし、日本のハワイこと八丈島へのフェリーは東京都の竹芝桟橋を夜22:30に出て、朝8:50に到着する絶妙なダイヤが組まれている。ちょうど一晩を船で眠って過ごせば、翌朝のいい時間に到着するから、実際の所要時間以上に心の距離感は近い。
あるいは、同じ伊豆でも熱海市や伊東市のある伊豆半島の温泉やマリンスポーツのイメージも一緒くたになって、伊豆と聞けば、「なんとなく週末リゾート」を連想してしまうのは僕だけではないはずだ。

けれど、これまた意外かもしれないが、日本で定期船の欠航が多いのも実は伊豆の島々である。中でも利島、御蔵島、青ヶ島の伊豆三島の就航率は国内ワーストクラスだという。
富士火山帯上に位置するため、伊豆の島々は小島といえどもせり上がった地形が多く、島に港が作りづらいというのもあるが、最大の理由は本土と伊豆諸島の間には黒潮が流れているからだ。

黒潮は海に流れる大河と言い換えてもいい。最大流速4ノットの世界屈指の激流は、これまで多くの物語を歴史に残してきた。
僕が訪れた寒風沢島の津太夫ら若宮丸乗組員たちは、この潮流にさらわれて遥かアリューシャン列島まで流されているし、伊勢の大黒屋光太夫にしてもそうだ。ジョン万次郎もまた、伊豆諸島南部の鳥島に漂着し、遭難生活を送っていたところをアメリカ船によって拾われている。
北海道から中国へと続く昆布ロードは、西廻海運の隆盛ととも発展していったが、この西廻海運もまた黒潮の影響を避けるために発達した海路である。

伊豆諸島は元来、流刑の地であった。黒潮に囲まれて孤立した島々は流人を島流しする上で格好の地だったに違いない。
「なんとなく週末リゾート」の伊豆諸島とは現代社会がつくりあげたある種の幻想であって、本来の姿は本土から黒潮によって隔てられた絶海の島々なのである。

中でも青ヶ島がすごいという。
東京都から南に360kmの島は世界でも珍しい二重カルデラの火山島だ。その特異な地形と黒潮が来るものを拒み続け、明治時代の頃には年に数回しか船が寄れなかったこともあったのだという。

直行便はなく、八丈島で船かヘリコプターに乗り換える。フェリーの就航率は今でも50%以下で、一日一往復のヘリコプターは島民の予約で埋まっていて、ほとんど幻のヘリである。

行けるかどうかは分からない。行けたとしても、いつ帰れるのかは分からない。
この時代にそんな場所が日本に、それも東京都に存在することを知った僕の旅心は激しくときめいてしまった。面白そうだ、と思ったら負けである。行けるかどうかも含めて、この近いようで遠い東京都の秘島に行ってみようではないか。不確定要素が多いほど、旅は俄然、旅らしくなる。

まず初めに乗った八丈島行きのフェリーは、連休中だというのに意外なほど閑散としていた。二年前に就航したばかりの橘丸の二等和室は僕の貸し切りだった。

この日も波が高く、船が出たとしても引き返したり、港に寄れない場合がある「条件付き出航」だったというのも影響しているのかもしれない。僕が胸を踊らせるような不確定要素も、普通の人にとっては不安の種でしかないのだろう。八丈島へは一日三本の飛行機もあるから、こんな時にフェリーを利用するのは、自転車を持った僕のような大荷物の人間か、途中の御蔵島や三宅島に用がある人間だけなのかもしれない。

夜半過ぎ、房総本島を抜けて、黒潮の本流に大型フェリーが差し掛かると、船体はうねうねと揺れだした。
そして明け方には「本船は波が高く、御蔵島港には着岸できません」とのアナウンスがあり、御蔵島への寄港は欠航となってしまった。
このまま八丈島にも寄れないのではないか、そんな不安が頭を横切るが、こちらは何とか着岸できた。ひとまず第一関門はクリアである。

橘丸の停泊した底土港には、青ヶ島行きの貨客船あおがしま丸も停まっていた。
窓口で運行状況を確認すると、この船も条件付き運行でとりあえずは出航するとのことだった。風は強く、空模様は冴えない。島に行けたとしても着岸できない可能性もまだあったし、このまま天候が悪化すればもしかすると島に缶詰になってしまう可能性もあったので一日、八丈島で様子を見ようかとも思った。
けれど、条件付き運行の船すら捕まえられず、何日も八丈島で足止めを食って結局行けずじまいだったという話もあるくらいだったので、行ける時に行ってしまえ! と僕は勢いよく青ヶ島行のチケットを買った。後先考えずに今目の前にある船に乗れるかどうか、青ヶ島へ行ける人間は、ここでふるいにかけられているように思った。

橘丸同様、あおがしま丸も2014年から運行を開始した新しい船だ。
5700トンの橘丸に比べて499トンとサイズはだいぶ頼りなく見えるが、それでも前身の客船・還住丸の120トンに比べれば4倍以上の大きさだ。昔よりもずっと島のアクセスは楽になっているだろうことは楽に想像がつく。

乗客はさらに減って僕を含めてたったの6人。橘丸でも見かけていた一人の観光客を除けば後は全員工事関係者だった。

「スーツケースが転がる恐れがあるので、荷物は通路に出していただけますか?」と言われたとおり、船はとてつもなく揺れた。
黒潮の由来となった青黒い色をした水平線が、窓ガラスの向こう側で勢いよく前後左右に振れている。とてもじゃないが立っていられない。すぐに悪心を催してしまったので慌てて酔い止めを飲み、あとは横になって耐えるよりほかなかった。そんな僕とは対象的にあおがしま丸は打ち寄せる千波万波にもめげずに進んでいった。

揺られること2時間半。僅かに船が騒がしくなって目を覚ました。そろそろ島が近いようだ。手摺りを伝いながらなんとかデッキへ出ると、いよいよ青ヶ島の島影を目にすることができた。
外輪山と呼ばれる外カルデラに守られた青ヶ島は、旅行記や写真で見てイメージしていたものよりもずっと迫力があった。一切の浜辺がなく、200~300m級の絶壁が顕然と立ちはだかるその様は堅牢な天然要塞そのものだ。初めてこの島にやってきた人間はどこから上陸したのだろう、文字通り取り付く島もない。

船の揺れも忘れて半ば呆然と島を見つめていると、島の周囲を迂回した先に三宝港が現れた。
港はなんというか、天然要塞に人口要塞を無理やり作り変えたという強引さでそこにあった。コンクリートで固められた絶壁。崩落した道。くり抜かれたトンネル。大波を被って朽ちた待合室。…の上に新しく架けられた橋。この島における人間と自然の繰り返し繰り広げられる戦いが一目で分かる様相だった。

港にはクレーンが備え付けられていた。港といえども常に波が高いので、定期船が小さい頃は艀船を出してこのクレーンで吊り上げていたという。港に船は泊めておけないので、今も島民の船はこのクレーンで陸揚げされている。

船員が波止場に向かってアンカーロープを投げると、待機していた作業員がそれを手早く柱に係留したところを見届けて、僕はようやく安堵した。
やっと、これで島に上陸できる。運にも恵まれ、ストレートで青ヶ島の扉が開かれた―――。

ところが、ここで飛び込んできた島の先制パンチが冒頭の「転んだら死ぬ」だったから僕にとっては藪から棒だった。
いや、しかし言われてみれば確かにそうだ。上陸したことで浮ついていたけれど、ここで調子に乗って自転車を飛ばして、少しでもハンドル操作を間違えたら、黒潮に飲まれて一発アウトだ。落石にもやられる可能性があるからこちらにも気をつけなければいけない。ここは「なんとなくリゾート感」の一切及ばない本来の苛烈さを残す伊豆の島である。

順調に行けば明日の同じ便で八丈島に戻りたいと思っているけれど、その願いが叶うかどうかは分からない。この島に足を踏み入れた瞬間から、僕は明日の予定さえも見えない身になってしまったのだから。
予定は6日間空けてきた。
さて、これも余裕がある日程なのかどうかも今はまるで分からないのである。

(次週に続く。東京都伊豆諸島の旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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