各国・各地で 風のしまたび

海の大河を越えて 東京都伊豆諸島の旅その4

2016年11月23日

月明かりに浮かぶビロウヤシの海岸通り沿いに底土野営場はあった。今夜の寝床もテントである。八丈島のキャンプ場も青ヶ島同様に無料で利用できる。最長で10日間の予約を受け付けてくれ、事前予約をしておけば期間中いつでも使えるので、船の運行が読めない伊豆諸島の旅にとってこんなに心強いことはない。それでいて、きれいに整地され、立派なBBQ棟や水周り施設があって、無料とは思えないクオリティなのだから文句なしだ。

ただ、もうキャンプのシーズンは過ぎてしまったのか、先客は釣りに来ていたおじさん二人組だけだった。
「魚に餌をあげに来たようなもんですねぇ」
今日の釣果を尋ねてみると、おじさんは苦笑いしながらそう言った。聞けば、この海の荒れに加えて、お昼ごろまで土砂降りの雨が降ったそうだ。言われてみれば地面が僅かに緩んでいる。
気温こそ温暖であれ、八丈島も本来の自然環境はなかなか大変なものがある。資料によれば年間降水量は3126mmで、東京本土の二倍以上の雨が降る。風速10m以上の強風日数は年平均146.6日。これは東京本土とは実に五倍以上の開きがある。今日のような暴風もこの島では日常茶飯事だということだ。やっぱり八丈島も「なんとなく週末リゾート」ではなかった。
青ヶ島から戻ってきて、すっかり気が緩んでいた僕だったけれど、まだまだ険しいの自然の伊豆の島にいるのだと思い直した。

翌日も風は止むことなく吹き続いていた。しかし、幸いにも空は青かった。今日は八丈島を一周するつもりだ。
北西の八丈富士と南東の三原山が盛り上がる島は、上から見るとひょうたんのような形をしている。そのひょうたん形に沿って延びる八丈循環道路は全長43.2kmというから、ワンデイサイクリングにはちょうどいい距離だ。南東地域には火山島らしく温泉がいくつも点在しているということだったので、温泉の楽しみは後に取っておいて、まずは先に北西地域を周ることにした。

八丈富士の裾野を、緩やかなアップダウンを繰り返しながら進む。道幅が次第に狭くなっていったが、このあたりには車通りも民家もほとんどなかったので、周囲を気にすることなく気ままに走った。

右手に紺碧の海を眺めながらひょうたんの先端部までやって来ると、沖合に八丈小島が浮かんでいた。雨水に頼らなければならない暮らしの厳しさから、1969年に住民が退去して以来、無人島となった島だ。
さらに自転車を進めた先には、今度はかつて済州島で見たような黒々とした溶岩原が広がっていた。

手頃なサイズ感でありながら、移り変わる風景の変化はとてもダイナミックだ。夢中でペダルを回していると、あっという間に島を半周し、昨夕、あおがしま丸が着岸した八重根港に到着した。

近くに歴史民俗資料館があったので休憩がてら立ち寄ってみた。趣のある古い木造建築はかつての島庁を利用したものだそうだ。

八丈島は漂流や漂着、流人によって様々な文化がもたらされたという。
現存する高床式倉庫は奄美・沖縄地方やインドネシアのものと類似していて関係性が指摘されている。島の伝統的な舟は、浮きの一種であるアウトリガー付きのもので、こちらも南太平洋の島々の舟と共通性が見られ、南方の要素が色濃い。古来の人々はこのアウトリガー舟で広大な太平洋の島々を行き来していたと考えられている。青ヶ島で直感した"黒潮の向こう側に広がる南洋の島々"の影は、この島でも確かに存在していたのだった。
一方で、日本本土からは流刑となった者たちが島に本土の知恵や技術を伝えた。島の古くからの中心集落である資料館の周辺では、丸石を積み上げた玉石垣の見事な風除けが見られるが、これは流人たちが海から石を運び上げて築いたものだそうだ。黒潮に阻まれ、本土との交流もままならない島にあって、流人たちは本土文化をもたらす者として、温かく迎えられたという。このことは島の墓が流人と島人で区別がないことからも伺える。
南方文化と本土文化が出会う場所としての八丈島。かつてシルクロードの国々を訪れた時に感じたような土地の寛容さを僕はこの島にも覚えた。

八丈島一周後半戦は前半戦とは打って変わってなかなか険しい山道が続いた。樫立や中之郷という大きめの集落が先にあるため、交通量もそこそこあってけっこう怖い。途中には親切にトンネルが掘られていたが、古いトンネルで自転車の逃げ場がほとんどなかったので、次々とやって来る車に肝を冷やした。

民家が続く道の先で、"裏見ヶ滝"の案内看板を発見した。裏見ヶ滝は文字通り、滝の裏側にまわることができる滝なのだが、近くで温泉が無料で開放されている。
土曜日の昼下がりという時間だったので、混んでいるかな、と思っていたらなんと誰もいない貸切風呂だった。ラッキー!
少しぬるめの湯温は自転車を漕いで火照った体にちょうど良く、なによりロケーションが抜群だ。温泉の正面と左手から二つの滝がザァーザァーと勢い良く注いでいる。
それにしても観光が産業の一つである八丈島なのに温泉もキャンプも無料だなんて。この島の外に対するおおらかさは今もまだ健在なのかもしれない。

裏見ヶ滝温泉で気を良くした僕は、一山越えて今度は末吉地区にあるみはらしの湯を目指した(こちらは有料)。
裏見ヶ滝温泉は亜熱帯の森の中にひっそりと佇む秘島といった佇まいだったのに対して、みはらしの湯は清々しい程に開放的な温泉だった。海岸線を見下ろす高台の上に、少し熱いくらいの塩梅で露天風呂が掘られている。こちらも夕方前という時間のせいか客足はまばらで、おかげでのんびりと楽しむことができた。

温泉を堪能した後は、ぐねぐねと曲がりくねる山道を一気に駆け下りた。ちょうど日が暮れるのと同時に何とか見覚えのある景色まで辿り着き、島一周を走りきった。

キャンプ場へ戻る前に繁華街の方へ自転車を走らせ、今夜の夕食は何にしようかと町をさまよっていると、何やら賑やかな音楽が聞こえてきた。音の鳴る方へついつい釣られて行くと、その先にあった神社で祭りが行われていた。そして音の正体はドンドコドコドコ…と軽妙に鳴り渡る八丈太鼓だった。
八丈太鼓の特徴は、片面の打ち手が一定のベースリズムを作り、もう一方の打ち手がアドリブを入れる両面太鼓だ。この日の打ち手は親子だそうで、息の合った拍子が実に心地よく響く。流れるようでいて、緩急をつけた動きのバチさばきは見ていて惚れ惚れしてしまう。
かつての流人たちはこの八丈太鼓に故郷への思いを込めて打ち鳴らしたと言われている。

昼の資料館によれば、沖縄の大東諸島には八丈太鼓が伝わっているそうだ。本土を想って打つ太鼓のはずなのに、なぜ沖縄に? と思うかもしれない。
大東諸島は明治時代に八丈島出身の開拓民によって拓かれた島なのだ。本土への望郷の念を込めて育まれた八丈太鼓が、大東諸島では開拓民がもたらした八丈島文化として引き継がれていることは興味深いものがある。

実を言うと、これまで僕は沖縄方面に行ったことがなかった。それはある意味食わず嫌いのようなもので、特に理由はなかったのだけれど、縁がなかったといえば縁がなかった。
八丈島から大東諸島へと延びるこの海の道は、沖縄を訪ねる良いきっかけになってくれるかもしれない。そして今度は沖縄の方に立って、本土を眺めてみればまた何か新しい発見があるんじゃないか。あるいは、今はまだ知らないどこかの島を結ぶ別な海の道が新たに見えてくるかもしれない、と思った。

島唄で「鳥も通わぬ黒瀬川」と歌われた海の大河・黒潮。ひと度、勇気を出して渡ってみると、そこには新しい世界が広がっていた。百聞は一見にしかず。行って感じてみなければ分からないことがあった。
次は沖縄に行ってみよう。こうやって心の世界地図が埋まっていく感覚が楽しくて、僕は旅をしているのだろうと思った。時間はかかってしまうけれど。

(次週からは沖縄県の旅をお送りします)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

最新の記事一覧

カテゴリー一覧