各国・各地で「瀬戸内・小豆島 ─日本の中の、ラテン─」

変化するからこそ、守られてきたもの

2014年05月07日

「うちの蔵の職人は菌だから、僕たちはそのお手伝いやな」。そうからっと笑うのは、"だいたい5代目"の山本康夫さん。何代前から続いていたのか、そもそもどのように醤油を造っているのかなどに関する文献がないという『ヤマロク醤油』。それなのに、ここで生まれる醤油がいつだって"圧倒的にうまい"のはなぜなのか。今回は、何度訪れても笑顔と驚きと新たな発見に出会える蔵、ヤマロク醤油のお話。

醤油蔵から聞こえる発酵ステップ

冬は立っているだけで足先の感覚が無くなるほど体が芯から冷え、自然とひそひそ声で話したくなるほどしんとした神聖な空気が流れる。もろみが発酵する夏は、先代が「地獄のもろみ混ぜ」と名付けたほどに、灼熱の中での作業となるのが、醤油蔵。そして、ちょうどこの時期、春から夏にかけては、どこからか浮かれたステップが聞こえてくるのです。「うちには、全国から年間2万人もの人が訪れてくれるんですが、菌はね、知ってるんですよ。お客さんに桶の上から眺めてもらうと、この時期に聞こえるプチプチッという発酵の音が、喜びを表現するように、一斉に激しくなるんです」。でも……、と康夫さんは笑って続けます。「男性だけの時は全く変わらんかったけどな(笑)」。

ヤマロクの歴史ある蔵や桶には、数百種類ものふわふわとした生きた菌がびっしりついています。この菌が味を決めていく、いわば"職人"だから、彼らに合わせて康夫さんたちが仕事をするのだそう。起床は朝5時~6時、家族の朝ご飯を作って菌の元へ。康夫さんの休憩は朝に15分とお昼ご飯の10分。遅いときには、21時まで仕事をすることもしばしばだと言います。「菌は生きとるから待ってくれんし、こっちが面倒やなーと思ってかき混ぜとったら、絶対それが伝わって味が悪くなってしまうんですわ」。

桶ごとにも個性があるようで、どうやら現在は「入り口の2つの桶が、本当にいい味をつくる。首位争い中ですね」。とのこと。やはり一番見える場所に居ることのプライドなのでしょうか。チャーミングな菌の性格や山本さんとの関係性が垣間見えるようで、なんだか愛おしくなってしまうのです。

蔵での必要スキルは、変化に気がつき、気が利くこと

受け継がれてきた"生きた味を守る"ということは、日々ルーティーンに勤しむということとはかけ離れていました。康夫さんの代になってから10年ほどが経つ今でも、日々新たな発見があると言います。「最近、アルコール発酵が始まって5日目くらいからリンゴの香りがしてきて、そしてそれがだんだんバナナの香りに変わってくることに気づいたんですよ」。日々変化する色、音、匂い。ほんの些細な変化に気がつき、楽しみながら、考えながら対応していく康夫さん。バラエティに富んだ、まだまだ解明されていないことも多い発酵の世界は、マニュアルに落とし込むことは出来ません。

そして、夏のハイシーズンにひっきりなしに訪れる何組ものお客さんをスムーズに誘導し、蔵で働く人同士意識しながら互いに話していない話を補足するという、気が利くスキルも必要。ヤマロクに受け継がれていた醤油づくりとは、菌たちと向き合い続け、ともに暮らして来た歴史が詰まったものでした。

成長が楽しみな調味料

地元の人々にはもちろん、同じように木桶で醤油を造る同業者からも愛されるヤマロク。「これからは、横の繋がりが大切になってきます。ほぼ失われてしまった木桶の醤油を、仲間たちとともに、後世に引き継いでいきたい」。そう語る康夫さんは最近、これまた失われ行く桶屋で修行をし、木桶づくりも始めました。伝統を守るための、新たな挑戦です。

エネルギーに満ちたこのお醤油は、肉に合わせても負けじと味を引き出せるほど力強い旨味があります。それでいて上品で体にすっと染み渡る感じは、小豆島のきれいな空気と山本さんたちのこれ以上ない愛情、そして、訪ねてくれる人たち(特に女性)の熱い視線を受けて育ったからでしょうか。次なる発見と成長がいつも楽しみで、また私はこの蔵に足を伸ばすのです。

お知らせ

Found MUJI Marketにて、今回ご紹介した「醤油」と「ぽん酢」をセットにして販売しています。

[ネットストア]
Found MUJI Market > ヤマロク醤油 小豆島/醤油文化の詰め合わせ

  • プロフィール 中村優
    台所研究家。料理は国籍や年齢を超えて人を笑顔にするとの信念のもと、家庭料理を学びながら世界を放浪旅した後、料理・編集の素敵な師匠たちに弟子入り。最近は、ロックなおばあちゃんたちのクリエイティブレシピを世界中で集めている。

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