連載ブログ 音をたずねて

ボサノバが生まれた街

2011年07月15日


夏になるとボサノバが聞きたくなる。軽くて、モダンで、少しアンニュイな感じのする音楽。今回から始まったこのBlog、何から書き始めようかと考えていたが、この季節ならやはりボサノバでしょう。皆さんの中にもうなずいておられる方もおありではないかと思います。
「イパネマの娘」「黒いオルフェ」「バイーア」「おいしい水」 沢山の名曲のあるボサノバ。ギターの軽快なラテンリズムと美しいコード展開、哀愁をおびながらささやくように歌いかけてくるボサノバが生まれた街リオ・デ・ジャネイロを訪ねてみました。


イパネマ海岸の高級住宅地

アフリカとの文化が混じり合い、豊かな音楽文化を生んだリオ・デ・ジャネイロ。 1950年代の後半、この町でボサノバは生まれました。Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい傾向」というような意味です。当時ブラジルはアメリカと親密な関係にありました。ブラジルの伝統的な音楽のサンバやショーロを基にモダンで心地よい音楽を作り出したいと、リオのコパカバーナやイパネマなどの海岸地区に住んでいた学生やミュージシャンが集り始めたのがこの時期です。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、アストラド・ジルベルト、ナラレオン、ヴィニシウス・ジ・モラエス、バーデン・パウエルなど作曲、作詞、演奏、歌唱など様々な分野の新しい才能が集まり、アメリカのジャズやポップスに影響受けた、新しい音楽スタイルとしてボサノバが生まれました。


リオ・デ・ジャネイロ

ボサノバというスタイルと書きましたが、音楽としてはサンバに属します。一口にボサノバといってもジャズに影響されたり、ショーロの影響が強かったり、ミュージシャンによってその作風はさまざまです。特徴はバチーダと呼ばれるギターの奏法で親指がサンバのスルドのリズムを刻み、他の指はタンポリンのシンコペーションを刻む独特の演奏方法です。本来のボサノバはオーケストラの編曲をすることは少なく、ギターとボーカルが基本のようです。


ジョビンがイパネマの娘を作曲したレストラン

1960年頃、ボサノバは頂点を迎えます。世界中で大流行し、様々なボサノバが生まれました。同時にポップスの領域での流行が起こりました。オリジナルの精神が消え、リズムや演奏スタイルだけをまね、ボサノバスタイルという、一過性のもとに消化されていきました。

ブラジルで1964年に起こった軍事クーデターは「リオの有産階級のサロン音楽」的な傾向であったボサノバを衰退させ、多くのミュージシャン達をブラジルから去らせてしまいました。本来のボサノバはある意味で非常に短い間(1958年から1964年)しか存在しなかったのかも知れません。リオにいって驚いた事は、ボサノバを扱っているCDショップの少なさでした。

ボサノバとは時代の生んだ現象であり、よき時代に起こった学生達の活動、そこに集まった才能が作り出した「その時代の音楽」のように思いました。
ちなみに、僕のレコード・ライブラリーを調べてみると、1958年から1970年頃の音源が多い事も気づきました。時代の中での「思い」が蒸留され純度の高いモダンが生まれた。その時代の才能が生んだ極めてプライベートな音楽がボサノバかもしれません。ただ、一人のアーティストの才能ではなく、その時代の気分が集団の中で様々な才能を生みながら、ボサノバという音楽を作り出した。それはサンバやショーロというブラジルならではの伝統音楽に起こった節まさにボサノバだったのだと思いました。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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