連載ブログ 音をたずねて

ファベーラの人々のちから

2011年07月26日


リオ・デ・ジャネイロの街を撮影のために歩いていると、丘の頂上に向かってバラック住宅の群れが見える。市内各所に同じような風景が点在している。イパネマのシェラトンホテルの裏にも、高級住宅街の横にも突然現れる。そしてその境界あたりにいつも機銃をもった警官が物々しく立っていたりする。地元のコーディネーターに聞いたらファベーラと呼ばれる貧民街で、リオ市内には数多く点在するらしい。


ファベーラの中でも規模の大きいエリア

ファベーラはそれぞれ個々に独立したコミュニティーを形成していて部外者はなかなか入れない。もともとは黒人の退役軍人が棲み始め、後には解放された奴隷、経済に困窮した人々、海外、地方からの流入者によって形成されていった歴史がある。それは1800年代後半から始まり、歴代の政府が改善を試みたが今もなお続いている。最近では市や政府がファベーラの存在を公的に認め、ファベーラの生活基盤と社会サービスの改善を行い、生活水準の向上に努めている。そのファベーラがブラジル、サンバの歴史に欠かすことの出来ない存在であることがわかった。


サンバ発祥の場所とされている岩盤

ブラジル音楽といえばサンバとショーロが有名であるが、サンバはファベーラに住む黒人達の音楽がカーニバルで演奏されるようになり、発展していった歴史がある。カーニバルはポルトガルの謝肉祭(エントルード)がブラジルに渡って、姿を変えたものでブラジル各地でも行われている。皆さんご存じのリオのカーニバルは、リオのサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のサンバ・パレードが中心になって行われるカーニバルである。ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装に身を包んだ各チームがサンバの演奏や踊りを競い合い、その年の優勝者を決める。このコンテストには世界中から観客が集まる盛大なものでリオの名物の一つでもある。このサンバ・チームのことをエスコラージ・サンバ(サンバ学校)と呼ぶ。学校というようにサンバ・ダンスや楽器演奏の練習をするのだが、むしろ地域のコミュニティー、町内会的な意味合いも強いらしい。それぞれの地域が自分たちのプライドをかけて、年に一度練習成果を競い合う。その勢いがサンバ・カーニバルを盛り上げすばらしいショーへと発展させてきた。このサンバ・コンテストの毎年の優勝チームにファベーラのエスコラージが選ばれることがとても多い。浅草でも行われているサンバ・カーニバル。世界中にファンがいるサンバ・カーニバルの人気はファベーラの人々が作り出しているといっても過言ではないほどである。

そんなファベーラの一つにとても美しい教会があった。奴隷制度があったころ、奴隷達が皆でお金を出し合い建てた教会である。厳しい環境の中で生まれた祈りは、これほどまでに強く、純粋なものかと驚くほど、その教会は美しく、力強いものだった。


教会の入り口

各国の音楽を調べていると悲しい歴史と向き合わなければならなくなることがある。時代の波に翻弄され、苦しい時を過ごしてきた歴史を読み解いていると人の強さも見えてくる。数えきれないほどの国と民族が悲しい歴史を乗り越えてきている。そして受け継がれてきたそれらの音楽は力強くそして美しくやさしい。


美しく飾られた祭壇

ブラック・ミュージックのファンキーも悲しみを突き抜けた陽気さであり、今回のサンバにも同じような感じを受けた。ひょっとしたら江戸っ子の「いなせ」「かぶく」と同じ思いなのかも知れない。


リオの街をカリオカ達が行き過ぎる。

生活はつらいことも含めて現実と向きあっていかなければならない。そこに必要な生活音楽はポップスや癒しではなく、背中を押してくれる力であったほうがいい。生活はいいことばかりじゃないが、人生は捨てたものじゃない。サンバからもこの教会もそんな声が聞こえてくる気がした。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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