ネイティブ・ハワイアンの音楽
2006年、静かなハワイ、フラ・ブームが続く日本で制作スタッフの間からもMUJI BGMシリーズでのハワイコールが起こっていた。しかし、私はハワイ音楽収録にはなかなか腰が重かった。それというのも私の知っているハワイアンは土地の思いが消え、美しく加工されたポップスという印象だったからである。
そんなある日、同僚の山根教授からメリー・モナーク・フェスティバルとジョージ・ナオペ氏の話を聞いた。
ハワイ音楽は欧米風的、観光音楽的なフラ・アウアナ(現代フラ)とネイティブ・ハワイアン伝統のフラ・カヒコ(古典フラ)の二つに分類されること。ネイティブ・ハワイアンによって企画され、初めてフラ・アウアナとフラ・カヒコを部門別けして開催したのがメリー・モナーク・フェスティバルという世界最大のフラ・フェスティバルであること。48年前に始まったこのフェスティバルは、押し寄せてきた欧米文化によって端に寄せられ、沈黙していたネイティブ・ハワイアン文化の復活であり、彼らの創造の時代の始まりだった。そのフェスティバルの創始者の一人ジョージ・ナオペ氏は生涯をかけこの活動を推し進めてきた功労者でハワイ文化の伝承者である事も教えていただいた。
ふっと、もやもやしていた霧が晴れ、早速、資料集めに奔走し始めるとネイティブ・ハワイアンのすばらしさやメリー・モナーク・フェスティバルの意味がやっとわかり始めてきた。まさにシリーズ企画で探していたものだった。
ジョージ・ナオペ氏に会いたい。ネイティブ・ハワイアンの思いを直接聞きたい。そんな思いでいるところに、山根教授から、12月に東京六本木で彼のライブがありジョージ・ナオペ氏に会うことが可能だとの連絡をいただいた。また翌朝に彼とブレック・ファースト・ミーティングが持てる可能性があるとのことだった。この山根教授のはからいにはとても感謝している。
当日、六本木のライブハウスに行ってみると店はお客様で満員の状態だった。ジョージ・ナオペ氏はアンクルと親しみを込めて呼ばれているらしい。そのアンクルを囲むなごやかなライブは私の探していた素顔の音楽を聴かせてくれるすばらしいものだった。
翌朝、ホテルのロビーに登場したアンクルは昨晩とは違いとても厳しい表情だった。レストランで私はおずおずと今回の企画説明をした。「無印良品の店内音楽として世界各地の伝統的音楽の収録をしている。それは過去と同じように再現するものではなく、現代まで続き、あらためて解釈され、未来に伝承される、生きている民族の文化を音楽という形で収録するものであり、是非ハワイ文化の一番の理解者であるあなたに監修をしていただきたい」とお願いをした。彼は少し考えた後、やっと昨晩の笑顔にもどり「私がやりたかったことを日本人のあなたが提案している。是非やりましょう」と即決してくださった。私はあまりの決断の早さに驚きながら私の企画がアンクルの長年の思いと一緒だったことに驚き、またとても感動した。3月下旬に現地で録音することを約束し、それまでに様々な準備を双方することで別れた。
コナに向かう道
待ちに待った2007年3月27日、ハワイ島コナ空港から2時間をかけてジョージ・ナオペ氏の自宅のあるヒロに向かった。一般的なハワイの印象とは異なる、溶岩だらけの平原をひたすら車で走ると時折、山が見えてくる、マウアナ・ケア山とマウアナ・ロア山、4000m級の山々である。そして聖地キラウエア山が見えるあたりから周り一帯は緑に覆われてくる。
コナ周辺は地形的に雨の多い場所らしい。
花々に覆われた滝や清流が現れ、鳥たちも多く姿を現してくるのを楽しみながら走ると古い街並みが見えてくる、ヒロの町である。コナともワイキキとも違うネイティブ・ハワイアンの町ヒロである。落ち着いたたたずまいの町の中に生活が見える。ヒロは日本からの移住者も多く、日本との関わりも深い町である。
アンクルの自宅周辺
時間通りにアンクルの家に着くと待ち構えていたように笑顔で迎えてくれた。
アンクルの家の周りは一般的な住宅地だった。出場するために世界中から多くの人々が集まる、メリー・モナーク・フェスティバルの創始者の住居としてはとても簡素なたたずまいが、かえってアンクルの人となりを物語っているようでとても素敵な印象を受けた。
アンクルの家のテラスでさっそくミーティングが始まった。
ミーティングメンバーはコーディネーションを引き受けてくださった、ハワイ・ジャパニーズセンターのセンター長でありハワイ大学ヒロ校教授の本多正文さん、今回の機会を作ってくださった松本大学教授の山根宏文さん、アンクルの弟子でもあり友人でもあるイヴァニラさん、アンクルの甥でミュージシャンのベンジャミン、通称ベンさん、そして我らBGMクルーに通訳と大賑わいのミーティングが始まった。いよいよハワイレコーディング、キック・オフである。まずはアンクルの構想をうかがうことになった。
これは次回に書きたいと思います。
注:このレコーディングの2年後の2009年10月26日朝、偉大なハワイアン、ジョージ・ルイス・ラナキラケイキアヒアリイ・ナオペ氏は親族と友人、弟子が見守る中、安らかに永遠の旅にたたれました。今回、アンクルの名前に故という文字を入れるか入れまいか迷いましたが、一生を通してフラの心を世界中に伝えてきた氏の思いは多くの方々の心の中でこれからも生きていくと思います。生前のお話しという事もあり今回省略させて頂きました。