連載ブログ 音をたずねて

ウィックロー・ウェイ

2011年11月09日

宿り木は見つからなかったけれど、レコーディングの準備のため急いでダブリンに向かうことになった。ダブリンの南部からウイックローに向かってウィックロー・ウェイと呼ばれる総距離130kmにも及ぶハイキングルートがある。ダブリンにはこのルートに沿って山側を通って向かうことになった。ウィックロー国立公園の雄大な渓谷美は「アイルランドの庭」とも呼ばれ四季折々の素晴らしい自然を満喫できるらしい。今回は9月下旬という事もあって、ヘザーの花も盛りは過ぎてしまったけれど、まだまだ見頃とのことだった。

国立公園内のグレンダーロッホから見える山岳地帯、奥の方がヘザーの丘

アイルランドの寒さは風

少し横道にそれますが、ご存じのように、アイルランドは日本よりだいぶ北にあります。首都ダブリンが北緯53度20分。北海道の宗谷岬が北緯45度31分ですから、かなり北に位置することになります。パリが北緯48度、ロンドンが51度。ダブリンと同じ緯度はロシアのイルーツク(シベリア)ですからとても寒い場所とお思いの方も多いと思いますが、意外にもメキシコ湾流のおかげで一年を通じて気温差がそれほどなく、冬は雪も少なく、東京と同じ程度の冷え込みだそうです。夏は20度台で過ごしやすい気候です。雨は良く降りますが年間降雨量は日本より少なく、弱い雨が短く何回も降るようです。ヘザーや芝をはじめ常緑樹が一年を通じて緑のままでいます。アイルランドがエメラルドの島といわれる所以かも知れません。

雨具と防寒着は必須でした

「朝、晴天で昼に大雷雨や雹、晴れたかと思ったら雨が降り、降り止んだ後に嵐などというくらいに天候の移り変わりは激しく一日に四季があるようだ」と情報をもらっていました。前回、来たときは晴天が続いたので、変化するといっても大丈夫だろうと安易に考えていました。ところが気温は15度程度なのでセーターでも良い気温なのですが、全員ダウン・ジャケットなどの防寒着を着ていなければ寒くていられないほどでした。それは風でした。一日中風が吹き、そのために想像以上に寒い状態でした。写真のお二人も完全装備されていますがこの程度の装備が必要だとわかりました。風は体温を奪います。風速1mの風は体感温度を1度下げますが、たぶんこの時の体感温度は10度以下だったと思いますので、常に5m~10mの風が吹いていたと思います。私は風を考えて、革のジャケットとセーターを持参したのですが少し甘かったようです。歩いているうちは良いのですが立ち止まると全く役に立ちませんでした。

ヒースの原野

ヒース、ヘザー論争

バスに乗り込み森を抜けると、突然ヒースの原野が広がりました。薄くピンクに色づいているヘザーの群生です。景色がスコットランドにとても似ていて、その低く垂れ込めた雲と風、時折降る雨にケルトの人々の原風景を見たような思いがわき起こりました。やっとケルトの地、アイルランドに来たと一人で見とれていると、そんな思いをよそにスタッフからこれはヒースかヘザーかとの話が出て、ヒース、ヘザー論争がバスの中で突然起こりました。

一面を埋め尽くしているヘザー(ヒース)の花

原野を埋め尽くしている、アイルランド、スコットランドを代表するこの植物は学術的にはエリカ属をヒース(Heath),カルーナ属をヘザー(Heather)と呼ぶようです。この2種類は混生していることが多く、ですので直接植物を名指ししないかぎり、どちらも正しいことになります。現地のコーディネーター曰く、植物名がヘザー、それの生えている原野をヒースと呼ぶのが一般的とのことで一件落着しました。

ピート(泥炭)とブラック・ウオーター(黒い水)

このヒース地帯はボグ(Bog)ともムーア(Moor)とも呼ばれる泥炭地です。この泥炭はヘザーの死骸が堆積したもので掘れば泥炭(ピート)が出てきます。

泥炭(ピート)です。

この泥炭は昔から乾かして燃料として使ったようです。柔らかい火なので暖房やウイスキーの蒸留に使われおり、その独特の香りが特徴になっているスコッチウイスキーもあります。最近は機械化されているようですが、昔はそれぞれの家ごとに手で堀り、燃料に利用していました。
この泥炭層を通過した水は茶色になります。アイルランドやスコットランドの水には透明なホワイト・ウオーターと茶色いブラック・ウオーター(泥炭層をくぐった水)がありますが、今回のアイルランドで見た川は皆ブラック・ウオーターでした。

泥炭層から流れ出た川の水、ブラック・ウオーターです

写真真ん中が、泥炭を固めて燃料キューブに加工した物

アイルランドの原風景

突然現れた巨大な滝

近くに寄ってみるとカフェオレのような色をしています。

ピートの話をしていたら、突然、落差200m以上ありそうな巨大な滝が現れました。さっそく車を降りて撮影です。ピートから流れ出た水は白濁してカフェオレのような色をしていました。写真ではなかなか再現できないので残念ですが、かなり迫力のある風景でした。

滝下の風景

近くまで行って滝をよく見ると、川の水が岩盤の上を広がって流れ、落差は大きいですが遠くから見たほどの水量はありませんでした。滝から谷間を眺めると、ウィックロー渓谷らしい風景に牧草地と数件の家、放牧された羊たちが見えました。広大な自然それも泥炭地で水も少なく生活するには過酷な条件の谷間が丁寧に開墾され牧草地となっている風景に感銘を受け、思わず見とれてしまいました。強く優しい伝統音楽、先人、家族、友人を大切にする人情味ある気質はこの厳しい自然環境の中から生まれてきたのではないだろうかと強い風に吹かれながら思いました。

広い開墾がされている村

再び、バスに乗り移動し始めました。昨日からの出来事や風景などのことを考えていました。
独立戦争の時の、ダブリン中央郵便局銃弾跡やイギリス支配時代の提督府跡など、自分たちの屈辱の時代すらもありのままに民族の歴史を大切に残すアイルランド。ウィックロー・ウェイとは、単なる自然探索路ではなく、アイルランドの豊で過酷な、原風景を認識し、語り継ぐために作られたように思えてきました。ふと目をやると、大きな谷に広く開墾された村が見えてきました。この村を越え右前方の平地に向かえばダブリンです。ここからは数十分で着くそうです。いよいよレコーディング、生粋のアイリッシュ・ミュージシャンとのレコーディングの前にとても良い経験ができたと思いました。
次回はダブリン市内のことを書こうと思います。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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