連載ブログ 音をたずねて

プラハの春

2012年01月25日

音楽の仕事で海外に行くときはいつも3ヶ月くらい歴史の勉強をします。音を録音することだけではなく、その国の文化と日本の文化の交流、お互いに知り合うことがこの仕事に於いては重要だと考えているからです。これは無印良品の原材料や商品を生産する方々と、売り手、買い手という関係を越えたお付き合いをしたい、相互理解の上で取引をしたいという理想とも重なる考え方です。今回のチェコ共和国思いおこされるのが、1968年に「人間の顔をした社会主義」をスローガンとして起こった自由改革路線「プラハの春」です。この改革は急速な自由化に危惧したワルシャワ条約機構の軍事介入によって制圧され改革は実現しませんでしたが、ベルリンの壁の崩壊に向かっての大きな節目となりました。

市民監視用扉の塞がれた跡に書かれたストリート・アート(右の絵)

ビロード革命

「プラハの春」から約20年後、1989年に起こった学生や市民フォーラムの民主化に向けての活動「ビロード革命」は国民の75%まで参加するゼネストに発展しました。この「ビロード革命」で共産党政権が崩壊し、1993年にはスロバキアとの平和的な分離がおこり、現在のチェコ共和国になりました。圧政からの解放、「プラハの春」から「ビロード革命」約20年に及ぶ闘争は自分の国を作るという市民の粘り強い精神と自由勝ち取るという思いによって生まれました。この改革の中心的な存在だった学生の中で国際舞台芸術アカデミーの学生達が主導的立場をとった事が、とても芸術の都チェコらしい印象です。今回サウンド・プロデューサーとして参加してくださった、イジー・ローハンさんもちょうどこの時代に青春をおくった方です。音楽と社会についての様々なお話しをうかがえるのではないかと思いました。

クラシックのために設計されたスタジオ

今回のスタジオ、木造造りでホテルのラウンジのような造りでした。

今までさまざまな場所で録音をしてきましたが、案内されたスタジオは私の経験にないスタジオでした。開放的な窓、普通の家のような壁、まるで小さなリゾートホテルのラウンジのようでした。通常スタジオに窓はなく、あっても二重ガラスの金属製のものが一般的で外からの音を遮蔽する構造になっています。壁が木材の場合もありますが、何らかの消音設計が表面になされている場合がほとんどで音の反射を極力排除する設計です。ところが、このスタジオには全くそのような処理はされていないようように見えました。手を叩いて反響を聞いてみると、やはり適度に反射がありました。しかし気持ちの良い反射で、まるで小さなコンサートホールのような環境だという事に気がついたとき、音楽に対しての姿勢の違いを感じました。

プラハ・シンフォニー・オーケストラで活動するチェロ奏者リカルド・ジェムリチカさん

クラシック音楽やアコースティック音楽を現場の音に忠実に録音するには最適な場所ではないかと思えてきました。このスタジオは良い意味で箱鳴りがするように設計されていたのです。世界の最近のスタジオは音を加工することを前提に設計されていますので無音室に近い方が良いと考えがちになっています。もしくは完全に打ち込み(コンピュータによる電子音楽)が多くこの場合は演奏する場所は選びません。最近のレコーディングに慣れて、本来の録音の意味が変化している自分を気づかされました。効率や理想のために本来の演奏を加工することはある程度致し方がないし、演奏家が望むことでもありますが、軸足の置き方によっては違うものになってしまう事に注意をはらっていた自分が知らずしらずに、本末転倒した指向に近づいていたことを反省しました。

チェコ・フィルハーモニック・コレギィウムのチェンバロ奏者アンドレ・イレさん

音が出てみるとまさにその通り、小さなコンサートホールより少し響きが少ないですが、とても膨らみのある音に感じました。最近はデジタル化が進み、このような音がするスタジオは日本ではとても少なくなったことに気づきました。クラシックの国ならでは、こちらでは普通のスタジオなのでしょう。

自由な気風と体の中からわき上がる音楽

プラハ・チェンバー・オーケストラの第一ヴァイオリン奏者リヴォル・カニカさんとチェコ・フィルハーモニック、ヴィオラ奏者ジィリィ・カバートさん

演奏が始まって、また驚きました。とても楽しそうに弾いているのです。真剣な表情ですが、楽譜どおりに演奏しようとか、うまく弾こうとかの雑念が全く感じられませんでした。演奏家の体の中から音楽がわき上がってくるようで、不自然さが微塵もありません。やはりチェコに来て良かったと思いました。日本にいるとクラシックはとても敷居が高い特別な音楽、世界共通な音楽に思えました。そして聞く側に緊張をしいるような雰囲気をいつも感じていました。それは自分の中にある印象なのかもしれません。チェコで感じたのは、まるでボサノバや軽いジャズをきいているように、まったく自然に演奏が意識の中に入ってきました。そしてスラブ人の血が音にも動きにも出ているように感じるほど、独特の抑揚が奏者の内側から立ちのぼっていました。

音楽を演奏することが楽しい緊張であることが伝わります

西洋音楽は全世界で演奏されていますが、やはり地元に全てがありました。楽典を勉強し、優秀な先生について技術を学んでも、地元に流れる血を共有しなければ、ただうまいだけで何も伝わらない音楽になってしまうのだと思います。前回のアイルランド音楽や他の国の音楽はその土地の文化であります。クラシック音楽は指揮者や演奏家による違いと思っていましたが、同じように土地の生活から生まれることを改めて実感しました。この血と共感できなければ文化交流も形だけのものになってしまうでしょう。ドボルザークやスメタナを地元演奏家のものとそうでない収録を聞き比べてみたら面白いと思います。クラシックの印象が大きく変わるでしょう。特に室内楽などの小編成にその特徴が現れやすいようにも思います。素顔の音楽は優れた工芸品に似ていると思います。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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