建築博物館のようなプラハ
「黄金の街」「魔法の都市」「百塔の街」「北のローマ」「宝石の都市」「建築博物館」「欧州の音楽院」など多くの呼び名をもつほど、プラハは音楽以外にも沢山の魅力を持っています。今回のブログはその中から建築のお話しをしたいと思います。もっとも建築に関しては全くの素人ですので多分に受け売りですが、写真を交えて年代順に、この美しい街プラハの建物様式を少しご案内いたします。
ロマネスク様式
ロマネスク様式・ストラホフ修道院、窓が高い位置に付いているのが見てとれます
ロマネスク様式は10世紀にローマを中心としてイタリア地方で生まれました。チェコではキリスト教の布教と共に主流となった建築様式です。当時白亜が建築建材として用いられていたので建物の壁は白が一般的です。もともと農耕民族だったチェコ人は中世まで木の家にすんでいたようです。外敵を防御するために取り入れられた石造りの建築は窓が少なく、また建物の高い位置に窓が取り付けられています。初期のものは技術的に未熟で壁の厚さが1~2メートルのものもあるようです。この建築様式の古いものとしてはプラハ城にある聖イジー大聖堂が有名です。今回は旧市街地からカレル橋を渡たったエリア、マラー・ストラナにあるストラホフ修道院をご紹介します。
ロマネスク様式・ストラホフ修道院入り口
このストラホフ修道院は12世紀に創建されプラハでもっとも古い修道士の修道院です。社会主義体制によって廃止されるまで800年の歴史を刻みました。17世紀には「神学の間」と呼ばれる聖書を集めた図書室が建設され、18世紀には「哲学の間」と呼ばれる図書室も増設されたほどで神学校の性格をもっていたようです。
1679年に作られた神学の間 とても美しいフレスコ画とスタッコ細工で飾られている。
ゴシック様式
聖ウィート大聖堂
プラハ場内に位置しプラハの顔ともなっている聖ウィート大聖堂。最初に建設された925年時は初期ロマネスク様式の円形建築だったようです。現在のゴシック様式の大聖堂は1344年に着工され1929年まで建設はつづけられました。完成までに600年が費やされた事になります。
大聖堂内部のアーチ型天井
ゴシック様式の発祥は11世紀頃だとされています。12世紀頃にヨーロッパ各地でゴシック様式の建造物が多くなってきたようです。このゴシック様式の一番の特徴は建物の高さにあります。このゴシック様式の高い天井を可能にしているのは建物をアーチで支える控壁を活用しているからだとされています。また尖頭アーチに組まれた窓にはステンドグラスによって装飾がされています。建物が高さを持っているため迫力もあり遠くからでも見えるのも特徴といえます。
ヴルタヴァ川に架かるカレル橋
ボヘミア王カレル1世によって1357年に着工され1400年に完成した。現存するヨーロッパ最古の石橋です。橋の長さは516m、橋の幅は10m。16のアーチで構成され、3つの塔を持ちます。橋の欄干には30体の彫刻が並び、その多くはバロック様式でです。また旧市街側(上の写真右側)の塔はゴシック様式の建築として有名です。チェコの建築様式で一番多いのがこのゴシック様式だそうです。ボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝カレル4世となった1346年以降、ローマ帝国の首都はプラハに移され都市開発が大きく行われた時代が、ちょうどゴシック様式が盛んに取り入れた時でもあることが、プラハの街にゴシック様式の建物が多くある理由のようです。今回のBGM収録のために学んだ建築様式ですが、これほど旅を豊かにしてくれるとは思いませんでした。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、ロココ、アール・ヌーボー、キュレビズムと建築様式を学びながら街を闊歩出来る豊かさは音楽と共にプラハの懐の深さ、歴史の厚みを感じました。次回はゴシック様式の1つチェコ・バロック様式からチェコ民主化の象徴フランク・ゲーリー設計のダンシング・ハウスまでを追いかけてみたいと思います。