地中海の十字路シチリア島
今回「音をたずねて」はMUJI BGM3でおなじみのイタリア南部の島、シチリア島です。第一回目はJ-WAVEの音楽の番組「サウージ・サウダージ」のプロデューサーでもある、中原仁さんに執筆していただいたライナーと取材写真でご紹介したいと考えました。2回目からはシチリア至宝チコ・シモーネさんの生前のお話しやタオルミーナの街、映画グラン・ブルーに登場するホテル・サン・ドミンゴなどもご紹介いたします。どうぞお楽しみください。
タオルミーナの切り立つ海岸線
長靴のような形をしたイタリアの爪先に、ほとんど触れそうな距離に位置するシチリア島。古くは「ゴッドファーザー」、近年では「ニュー・シネマ・パラダイス」「グラン・ブルー」といった名作映画の舞台となり、人々の旅情をスクリーンの向こうに広がる風景へとかきたててきた。ティレニア海とイオニア海に面し、温暖な地中海性気候にはぐくまれた美しい自然と歴史の重みを伝える町並みは、世界中から訪れる人々を魅了し、せわしない分刻みの日常生活から心を解きほぐしてくれる。取れたての魚介類や太陽の恵みを浴びて育った野菜などを素材とするオーガニックな料理も絶品で、気取りのないカジュアルなグルメ感がまた嬉しい。
ムール貝とハマグリ、シャコのパスタ
日本の四国よりひと回り大きなシチリア島は、紀元前からさまざまな歴史が交錯してきた"地中海の十字路"と呼べる土地柄だ。今でこそイタリアの一部になっているが、かつてはフェニキア人、ギリシア人、ローマ人、北アフリカのアラブ人、バイキングの子孫ノルマン人など数々の民族が、この美しい島の支配をねらって戦いを繰り広げ、それぞれの文化の足跡を残してきた。
テアトロ・グレーコ
シチリアの音楽
そんなシチリア島の今を生きるミュージシャンたちによる、シチリアを中心とする南イタリアのトラッド・ミュージックを収めた『BGM3』。歴史的な背景からも想像できるように、一口にシチリアの音楽といってもそこにはいくつもの顔がある。
クワルテット・ヴィー・デ・ボニス
クラシックをはじめ、イタリア、ギリシア、スペイン、アラブなどのさまざまな文化が溶け合いながら、多彩な表情をつづれ織りする。異文化のミクスチャーによって最もピュアな美しさだけが残り、素朴な中にも洗練された響きをかもしだす。
コンパニア・フォーク・タオルミーナ
シチリア島の温暖な気候、陽気で人なつっこい人々の気質を反映した、伸びやかな天然素材の音楽。しかしその背後には、せつないメランコリーの色彩もただよっている。それはかつて、さまざまな土地からシチリア島に移り住んだ人々の故郷に寄せる想い、複雑な歴史にさいなまれた幾多の経験などが地層のように積み重なっていて、そこから生まれた湧き水が音楽であるからだろう。だからその味は、どこか悲しくほろ苦い。
イ・ミノタウリ
『BGM3』に参加したグループ、ミュージシャンはシチリア島の音楽の豊かな伝統を受け継ぎながら、既成の音楽産業の枠組から距離を置いたところで活動している人たちだ。音楽をパッケージ化して売ることよりも、"食べる、寝る、愛し合う"こととまったく同じ日常生活の一部として音楽を演奏し、楽しみを共有しようとするマインドの持ち主である。だからといって、彼らが既成の音楽産業の基準に満たないということではない。
シチリアの宝 チコ・シモーネ
チコ・シモーネ
たとえば、ピアニストのチコ・シモーネ。17歳で渡米しボストンの音楽学院に留学の後、1930年代にはビッグバンドを率いてアメリカ全土をツアーしたほか、ベニー・グッドマンやジーン・クルーパといったスイング・ジャズの大御所たちと共演するなどの輝かしいキャリアを誇る人だ。故郷シチリア島のタオルミーナに戻ったチコは、地元のオーケストラの指揮者としてヨーロッパ各国をツアーし、多くのミュージシャンを育ててきた。また、俳優として映画「グラン・ブルー」にも出演している。
チコ・シモーネ自宅庭にて
まさにシチリア音楽界の"ドン"と呼べる名士だが、スタジオに閉じこもってピアノを弾くことを嫌い、これまでレコーディングの依頼を断り続けてきた。チコが最も愛するミュージシャンズ・ライフは、リラックスした空間でその場に居合わせた人々のためにピアノを弾くこと。じっさい彼は今も、タオルミーナの由緒正しい名門ホテル「サン・ドメニコ・パラス」のバー・ラウンジで、夜な夜なピアノに向かうことを日常としている。
チコ・シモーネにはもうひとつの顔がある。シチリア島の水泳大会で優勝し、ボストン・マラソンなど数々のマラソン大会に参加。シルヴァー・エイジを迎えてからも競歩の選手権で優勝し、トライアスロン大会で完走したばかりか、90歳にしてニューヨークのエンパイア・ステート・ビルの階段上りを成し遂げたという恐るべき現役アスリートでもある。
チコの自転車
そんな、百科事典なみの分厚い伝記が書けそうなチコ・シモーネをはじめ、彼の妹で今もピアニストとして活動しているアメリア・シモーネから、シチリア島の伝統音楽に若々しい鼓動を吹きこむ20代のミュージシャンまで、さまざまな世代の音楽人が集まった『BGM3』。
アメリア・シモーネ
ここには、システマチックに大量生産される音楽とは違う、日常生活の中に息づく音楽がある。悠久の歴史を持つシチリアの風土が育てた音楽は、街角を行き交う人々の表情と同じように、今日もそして明日も素顔のまま生き続けている。
(中原 仁)