連載ブログ 音をたずねて

チコ・シモーネというミュージシャン

2012年03月28日

アリタリア航空でミラノ経由カターニア、そこからバスに乗り換えてタオルミーナに着きました。タオルミーナの街は19世紀から20世紀中頃までヨーロッパの上流階級の避寒地として発展しました。20世紀後半以降イタリア国内の夏のバカンスが恒例化すると、一般市民の避暑地として人気の場所になりました。近年では映画グラン・ブルーやゴッド・ファーザーの撮影地としても注目をあびて、世界中から多くの観光客が集まる場所になりました。そのタオルミーナで映画ロケ地と同じくらい人気を集めているのが、この人チコ・シモーネ氏です。我々がお邪魔したのが2002年9月。その時点で御年92才現役のミュージシャンでした。氏が毎夜出演していた五つ星ホテル、ホテル・サン・ドメニコは元ドメニコ派の修道院だった格式のあるホテルで、映画グラン・ブルーの舞台にもなった場所です。しかしホテルを訪れる観光客の大半のお目当ては、歴史や映画よりもチコの演奏だとホテルスタッフに聞きました。70年近くここタオルミーナのホテルでの演奏を中心として活動しているチコは地元でとても人気があり人々に尊敬されていました。一緒に街をあるくと、ほんの数百メートル歩くだけで様々な人々が彼に挨拶をしたり、プレゼントを渡します。チコも気さくに挨拶を交わしながら、プレゼントをもらう姿を垣間見てチコがどれほど皆に愛されているかがわかりました。

当時のタオルミーナ・コムーネ(市のような役割、以下市)市長にご挨拶

スタジオのないタオルミーナでのレコーディングのためにチコが市の公会堂を手配してくださいました。録音器材とスタッフはローマから呼んでの録音になりました。チコはそのキャリアや人気の割に、レコードになったものがほとんど無いミュージシャンです。普段スタジオのような堅苦しい場所でのレコーディングを嫌いレコーディングはほとんど断ってきたと聞きました。今回、彼の率いるコンパニア・フォーク・タオルミーナを初めとするトラッド・ミュージックの演奏者達が一堂に会してのレコーディングが実現したことはとても幸運な出来事です。チコからの要望は、タオルミーナの音楽をすべて納めたい。いつも通りにやりたい。その二つだけでした。我々の意図と合致する要望でしたのですぐにOKすると、選曲、アレンジの指導からレコーディングの準備まで、この収録に最大の精力をそそいでくれました。今回の幸運は、現地のトラッド音楽を現地のミュージシャンで収録したいという我々の思いと長年チコのやりたかったことが偶然にも出会いそれによって生まれたものだと思います。

タオルミーナの歴史

タウロ山中腹の標高200mに広がるタオルミーナ、写真中央がコルヴァイア宮

タオルミーナの街はタウロ山の中腹に位置します。海からの急斜面に作られた街の縦の道は登るのもたいへんな急な傾斜の細い道です。その海に続く道に交差するように等高線に沿って平らな道が作られています。少し横道にそれますが、このコルヴァイア宮はギリシャ、ローマ時代の建造物の一部を使い、アラブ時代に改修され、15世紀にシチリア王を選出する、シチリア議会が開かれた場所です。この急な場所に街が築かれたのには訳があります。シチリア最古のギリシャ人植民地ジャルデーニ・ナクソスがシラクーサに滅ぼされた後で生き残った者達が防御に適した街として建築したのが、このタオルミーナで紀元前4世紀からの歴史を持っています。地中海、イオニア海、テレニア海に囲まれた交通の要所としてのシチリアは苦難の歴史を持っています。

タオルミーナのメインストリート、ウンベルト通り

この道が等高線に沿って作られた平らな道、タオルミーナのメインストリート、ウンベルト通りです。我々がレコーディングに訪れたのは、バカンスの終わった9月の中旬でした。BGMの収録はいつも7月、9月、3月、4月のどこかで行います。その理由は二つあります。ひとつが観光に良い時期はホテルが満員で予約が出来ない事。もうひとつがトラッド・ミュージックのミュージシャンは地元の観光的な催しに忙しく、メンバーが集まらないことが主な理由です。今回も観光に良い時期を外しての現地入りしたのですがウンベルト通りは沢山の観光客で溢れていました。この通りは全長800m程度ですが、道の左右の路地にも工夫を凝らした店が所狭しと並んでいます。我々が宿泊したホテルから出て、この道を北に向かうとレコーディングをする市の公会堂があります。

市の公会堂入り口

ここが市の公会堂です。堅い感じのする建物で少し驚きましたが、気の良さそうな守衛の方が、市長から聞いているから好きに使ってくれとにこやかに対応してくれました。

ローマから届いた器材

実はこの器材が予定よりも1日遅れて到着しました。少しひやひやしましたが、チコ達ミュージシャンは驚きもせず、スタートを一日ずらしてくれました。この寛容なところがラテンの血だと、スタッフで安堵しましたが、機械的に動くこと自体が好きではないようにも見え、とても人間的な印象を覚えました。

ライブレコーディングのようなセットアップ

ミュージシャン達が集まり、音のチェックが始まりました。通常のレコーディングではトラック・ダウン時に音の調整がしやすいように、各楽器と楽器の音が直接かぶらないように配置や壁など工夫をするのですが、今回はライブレコーディングのようなスタイルで収録する事になりました。

セットアップが続きます

イ・ミノタウリのメンバー

レコーディング・エンジニアがミキサー席に座りレコーディングが始まりました

器材が届かずやきもきした一日を過ごしましたが、なんとかこうやってレコーディングが始まりました。世界の伝統音楽を記録し、そこに流れている日本と共通の思いを無印良品店内BGMとして皆様に聞いていただきたい。そんな我々の企画に賛同してくださったシチリアのミュージシャン達からの、温かく強いメッセージをも収録出来たと思います。チコを始め集まってくださったミュージシャンすべての素晴らしい演奏と思いに感謝をしつつ、4日間のレコーディングは無事に終了しました。

このBGM3 BGM2002のCDについては、ネットストア > BGM3 BGM2002 をご覧ください。

次回はこの時、同時に入った雑誌フィガロの取材の模様とそれぞれのミュージシャン、仲良くなったフィガロの取材スタッフをご紹介します。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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