カーサ・チコ
レコーディングのある日、チコが私たちを家に招待してくれました。タオルミーナの中心から険しい山道をのぼり頂上に近いところにチコの家はありました。門の脇にそっと置かれていたカーサ・チコの紋章と可愛い白い家、チコのお人柄が偲ばれる素敵な場所でした。敷地内にある農園を案内してくださいながら、僕はミュージシャンであり、ファーマーでアスリートでもあると教えてくれました。ファーマーでアスリート? お会いした前チコは92才だとうかがっていました。農業をやるにしても大変なお歳である。ましてやアスリートとはどういうことだろうと一瞬耳を疑いました。そんな私たちを尻目にチコは細長い畑をどんどん歩いて行きます。あとを追いながら、7回結婚して4人の子供がいること。日本が大好きで合気道を習っていること。タオルミーナは素敵なところで、気に入っている。などなど様々な事を話してくださいました。
周囲の景観
前にもお話ししましたが、タオルミーナは山に向かってかなり急な斜面に作られた町です。畑はその急な斜面に石垣を組み、等高線にそって作られています。日本の棚田のような造りなのですが面積はかなり小さく細長いのが特徴です。チコの畑も同じように作られ道のような幅でした。
何種類かの野菜が植わっていた
その細い耕作地に各種の野菜やオリーブ、ザクロなどが丁寧に植えられていて、農作業の移動だけでも大変な労力だろうと思いました。
たわわに実った美味しそうなザクロ
私たちが興味深そうに畑に見入っていると、この畑から毎年ワインを500本作ると教えてくれました。私達が驚いた顔をしているのが、面白かったのか、ワインを作る場所を見せてくれる事になり、畑を一回りしてからチコの家に向かいました。
白く素敵なカーサ・チコ
カーサ・チコの綺麗なブルーの扉
白い小さな家にブルーの扉、青い空と赤い花と緑に囲まれた家はとても素敵なたたずまいで、チコが丁寧に暮らしていることが一目でわかる気持ちの良い場所でした。
ブドウを搾る場所。セメントでできた、風呂のような大きさがある。
地下にある葡萄酒作りの場所は思いの外大きく、そして年季の入った道具が並んでいました。収穫は秋なので今はなにもないと、残念そうに話してくださったのがとても印象的でした。それにしても500本のワインを作るのは大変だろうし、さぞ活気のある出来事なのだろうとなにもない作業場を拝見しながら、残念に思いました。
カーサ・チコ、リビングダイニング
うえに上がり、綺麗に片付けられていて快適そうなリビングでお手製の赤ワインををご馳走いただきました。なんとも言えないほど良い香りのワインでとても飲み口が良く美味しいワインでした。ちょうど妹のアメリアさんも駆けつけて、和気藹々とワイン談義が始まりました。私はイタリアには何度か来ていましたが、個人のお宅にお邪魔したのは今回が初めてでした。まるでイタリア映画の中にいるような楽しい時間を過ごしました。歓談のあとチコが表に出ようと皆を外に誘い出しました。
チコのロードレーサー
表に出るとアスリートの話になり、十代の頃シチリア島の水泳大会で優勝したのをかわきりに、ボストンマラソンや様々なマラソン大会に出場、70才を過ぎてからアフリカで行われた競歩の選手権で優勝。エンパイアステートビルディングの階段のぼりでは常連だと楽しそうに話してくれました。驚いた顔をしている私たちに、後ろを見てご覧と言うので振り返ると、一台のロード・レーサーが置いてありました。2年連続でシチリアのトライアスロンに出場し、そのための自転車だとの話、私たち全員声がでないほど驚きました。話を総合すると、92才で朝は2時間ジョギングをしてから農作業で土と格闘をし、昼食後シエスタを2時間とり、夕方からホテルでピアニストとして演奏をするのが、チコの一日という事になります。なんというエネルギーなのだろう。チコはそれらのことを自慢するのではなく、楽しそうに教えてくれました。思わず自分の普段の生活を顧みてとても恥ずかしい、思いがしてきました。
自宅の庭で
チコは若い頃アメリカに渡り40才で故郷タオルミーナに戻るまでニューヨークを拠点に演奏活動をしていて、ベニー・グッドマンと共演したり、ビッグバンドを率いてアメリカ中を回っていたこともあったらしいです。ゴッド・ファーザーのテーマ曲はチコがいつも弾いているシチリアのフォークソングをニノ・ロータに提案し、彼が採用したとの話を伺いました。話をすればするほど、ミュージシャンでアスリートでファーマーというチコの考え方が伝わってきました。全力で自分を生きること、歳と活動することは関係がない。チコはそう言っているのではないかと感じました。
チコとの記念撮影
このレコーディングから2年経った2005年4月9日、悲しい知らせがシチリアから届きました。足の手術をして、手術は成功したのだけれど、チコは神に召されたとの知らせでした。チコにお会いした時間が頭を駆け巡りました。享年94歳。最後まで走りきった輝く人生だったと思います。今回の仕事でチコ・シモーネ氏とご一緒出来たことは、私たちスタッフにとってとても大きな幸せでした。人生は一生をかけて自分を実現していくことなんだよと教えていただいたように思います。同じように氏から力と夢をもらった方々は世界中の沢山いらっしゃると思います。チコ・シモーネ氏が天に召された数日後、エンパイア・ステートビルディングがイタリアンカラーにライトアップされたと聞きました。それはアメリカの人々が氏の素晴らしい人生に贈った感謝のレクイエムだったように思います。マンジャーレ(Mangiare)、カンターレ(Cantare)、アモーレ(Amore)、イタリア人らしく人生を豊かに生きたチコ・シモーネ氏と教えてくださった生き方を、私たちは生涯語り続けるでしょう。
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