ガウディのサグラダ・ファミリア
アントニオ・ガウディといえばサグラダ・ファミリアを思いおこされる方も多いと思います。カタルーニャ・モダニズムの代表作品とされるサグラダ・ファミリア(聖家族教会)に行きました。観光としてもサグラダ・ファミリアの人気は高いようです。私たちが訪れた2004年の統計では、スペイン南部のアルハンブラ宮殿、首都マドリッドのプラド美術館など人気のある施設を集客数で上回ったそうです。多くの観光客を魅了するこのサグラダ・ファミリアですが、2005年にユネスコ世界遺産に認定されました。
観光客で賑わう聖堂正面
初めて訪れて、その建物の複雑な構造に驚かされました。大きな石の建築材が考えられない構造で組み上げられ、その組み上げられた個々の建材をまたぐように彫刻が彫られています。写真では見えにくいのですが、躯体壁面よりも外側に張り出た彫刻が多く見られ、屋根のように張り出ていいます。積み上げられた石材のバランスをどのようにしてこの構造を支えているのかとても興味が湧きました。
生誕のファザード 入り口部分の装飾です
壁面の彫刻です
不思議な躯体構造
画面では見にくいのですがかなり大きな石材を組み上げて彫刻を施しているのが分かります。躯体として組み上げられた石材の表面を装飾しているように見えます。写真でご理解いただけますでしょうか。この写真の上部は人物彫刻が乗っている面よりもそうとう外側に張り出ています。岩盤を削りだしやセメントで作るのであれば素人の私でも理解出来ますが、石材の組み合わせでどのように強度を持たせるのかとても不思議な技術でした。これらの複雑な彫刻は建物全体に施されています。どのように石材を加工し組み上げれば、建物として強度を持たせているのか1時間ほどその場に座り考えましたが、建築の知識のない私にはまったく理解できませんでした。
教会は現在も建築が続いており、写真に左に現在建築の部分が見えます
帰国してからそのことが気になり調べて見ました。サグラダ・ファミリアは1882年に建築家フランシス・ビヤールによって設計され着工されました。その翌年にビヤールが辞任すると、当時まだ無名だったアントニオ・ガウディが建築責任者に抜擢されます。ガウディはすべて設計をし直し、1926年に亡くなるまでこの建物の設計、建築を進めました。ガウディは詳細な設計図は作らず、ヒモと錘を用いて、実験を重ね構造を検討したと伝えられているようです。
協働作品としてのサグラダ・ファミリア
正面左の建築中の部分
この写真は現在建築している部分の写真です。ガウディ以後の建築はガウディを尊敬する多くの建築家や彫刻家によって進められています。先ほども書きましたが、ガウディはもともと完全な図面はつくらなかったとされるサグラダ・ファミリアですが、その少ない設計図や模型等もスペイン内戦時にほとんど消失してしまったようです。現在進められている建造は、ガウディが手がけた建造部分とその施工を担当した職人の伝承や、大まかな当時の外観デッサンなど、わずかな資料をもとにガウディの構想を推測踏襲する形で今も建築を続けているようです。今回拝見した新しい部分はデコラティブな当時の建築と異なり、現代的な作風を感じます。ただ直線を廃し、ガウディの有機的な造形を継承していることは見て取れます。
2004年当時建造中の部分です
受難のファザード入り口 2004年当時建造中の新しい部分です
ガウディが手がけた「生誕のファザード」と彼を慕う建築家、彫刻家の手がける「受難のファザード」は見た目には大きく違います。ガウディのファザードからうける有機的な表現から無機的な表現に移っているような気がします。また私が不思議に見えた躯体と彫刻との関係も解消されていました。ただガウディの表現の方法の中心にある精神やコンセプトは今も継承されている印象を受けました。ガウディの頃の建築部分には当時の職人の技術、建築費用、そしてガウディだから出来たことが数多く見られるように思います。現代の作家達の作風や職人の技術、そして時代感覚など建築はその時代を映す鏡でもあると考えると、今建設されている新しいサグラダ・ファミリアもガウディの作品なのだと思いました。
床タイルと思われる建材です
造るという行為自体が信仰
2004年当時建造中の部分です
ガウディは生前「この聖堂の建築を通じて、世界から多くの人が集まり、1つの目標に向かって共同で作業すること」を重視していたそうです。音楽も建築も総合芸術だと私は思います。関わるすべての人達のさまざまな思いと技術が作品となってちりばめられます。ガウディという天の才が生んだ「表現の場」サグラダ・ファミリアは時代を超え、時を越え、その時代ごとの素晴らしいクリエイターや職人達によって協働で建築されています。今後も完成までには多くの時間がかかり、そして様々な社会変化をくぐり抜けていく必要が生まれます。また時代ごとに多くの人々が建築に関わり、それを見ることで沢山の観衆が集まります。ガウディが求めたサグラダ・ファミリアは完成を目的とせず、教会建築という行為自体を祈り、信仰の「場」と定義した行動による信仰ではなかったのかとの思いが湧いてきました。
次回は食のスペイン。カーサ・ブルータス吉家編集長(当時)に教えていただいた、気さくで美味しいレストランと街の風景をご案内いたします。