連載ブログ 音をたずねて

ケルトの地 コーンウォール(Cornwall)

2012年10月17日

ご存じのように、イギリスの正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)です。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの国から構成されています。この中のアイルランド、スコットランド、ウェールズはケルト文化を色濃く残すケルトの地としても有名です。紀元前ヨーロッパ全体を席捲したケルト文化はその後、様々な変遷をとげながら、いくつにも分派しヨーロッパ各地にその流れを残しています。その中で現在イングランドの一部になっているコーンウォールもケルト文化を色濃く残す地方です。私たちは2008年9月そのコーンウォールの音楽を店内BGMケルト音楽シリーズ第三の地として収録すべく現地に向かいました。

Aのマークが目的地St,. Merrynです

ロンドンヒースロー空港に夕方4時に私たちは到着します。そこから340km離れたコーンウォール、セントメリーンという小さな町を陸路で目指します。340kmというとちょうど東京から京都の近くまでの距離です。今回は音楽収録の前に撮影の時間を設けましたので移動しながら録音スタジオを目指します。空港からヴァンに荷物を積み込み、顔なじみのスタッフ5人で出発です。経路はブリストルを経由しエクセターまで高速道路で移動。この高速道路の終点エクセターを過ぎるとコーンウォールの文化圏に入ります。コーンウォールに入ってからは一般道を100kmほど走り、スタジオのある場所セントメリーンに隣接する町ウェイドジブリッジを目指しました。

高速道路をおりるとこんな風景と畑が広がります

コーンウォールはイングランドの南西部に位置し、イングランドの一員としてコーンウォール・カントリーと呼ばれますが、イングランドとは一線を画す、独特の文化や言語に帰属意識を持つ、ケルトの文化色濃く残るエリアです。人口は約52万人。 独特の言語はコーンウォール語と呼ばれ、ウェールズ語やブリトン語に近く、同じケルト文化のアイルランド語ともスコットランドゲール語とも関係が薄い言語です。現在でも2000人定度の話者がおり、コーンウォール語の復興活動も盛んに行われています。コーンウォールはイングランドからの独立運動が起きるほど文化的特色を強く持っています。

コーニッシュ・ケルトの研究者マイク・オコーナー氏

今回のサウンド・プロデューサー、マイク・オコーナー氏

今回のコーンウォールのケルト音楽を制作するに当たって、現地の第一人者マイク・オコーナー氏に協力を依頼することにしました。マイク氏の略歴を簡単にご紹介いたします。1946年12月8日、ロンドン郊外のミドルセックス州エッジウェアで生まれ。幼少期をロンドンとウェールズで過ごす。13歳の頃からバイオリンを習い始め。その後フィドル演奏の技術を学ぶためスコットランドに移住。1985年頃コーンウォール音楽研究のためコーンウォールに移住。1999年にはフォーク・オペラの"The City of Tin"をプロデュース。このオペラは2年間コーンウォールで公演され大好評を得ます。2000年からコーニッシュ(コーンウォール人)の伝統音楽のリサーチを進め、1740年代から1850年代にかけて書かれた楽曲の発掘。コーニッシュ音楽の歴史を描いた「イロウ・カーノウ(コーニッシュ音楽という意)」という本を出版。コーンウォールの文化や芸術に多大な貢献をした人々に贈られる"Bard of the Gorsedd of Conwall"という名誉賞も受章しておられ、まさにコーンウォールの伝統音楽を体系的に纏めたミュージシャンでもあり研究者でもあります。

待ち合わせは初体験の興味深いホテル

マイク氏と待ち合わせの場所、ウエッジブリッジのThe Swan Hotel

そのマイク氏と待ち合わせのために逗留することになったザ・スワン・ホテルに私たちが到着したのは夜9時前でした。約5時間、距離のわりには思いのほか早く着いたとほっとしながら、荷物を降ろしホテルに入りました。

ホテルの入り口を入るとバーカウンターです

入り口の扉をあけると突然バーカウンターが現れました。どうやらチェックインはこのカウンターの端でするようです。簡単なチェックインが終わると、女主人が笑顔で部屋は2階だとカウンター横の階段を指さしました。どうやらバブの上階がホテルになっているようでした。2階にあがってみると、昔西部劇に出てきたバーの上にある部屋、ジョンウエインでも出てきそうです。コーディネーターの菅原さんが移動の車中で、この辺りはちゃんとしたホテルがないのでと心配していたことが的中したようです。お湯は出ましたし、ベッド・シーツも清潔なようでしたので、この貴重な体験を楽しむ事にしました。

ホテルは若者達の社交場に早変わり

入り口が二つあり、ホテルの入り口とは反対にかかっている告知ボード

荷物を置いて食事まで周りを探索しようとホテルを出たところ、ホテルの反対側がバーの入り口になっていました。どちらから入っても先ほどのバーカウンターがドーンとあるホールなので、入り口を二つ作る必要もないような気がしながら、ふとその入り口の看板を見てびっくり、この後ライブがあるようです。

これは翌朝朝食前に撮った室内です

そろそろ時間なので中に入り皆と合流、皆も状況がわかったようでニヤニヤした顔が並んでいました。スピーカーから遠い一番奥の席を用意してもらい、ライブと食事を楽しむ事にしました。ライブはディスコミュージックでした。町の若者達が集まったのでしょう。それぞれ思い思いに着飾って踊っています。結構な人数が集まり地元の社交場の賑わいでした。毎週末このような催しが行われているようにも思いました。なかなか興味深かったのですが、旅の疲れもあるので、早々に部屋に引き上げ寝ることにしました。ベッドに入ってもディスコのソファで寝ている状態で階下の賑わいは続いていました。ディスコ・サウンドと若者達のざわめきに包まれながら、旅の疲れと奇妙な安堵感で知らない間に寝入っていました。小さな町の社交場。観光旅行では体験できないとても貴重な経験でした。翌日はマイクさんが訪ねてきます。次回はマイクさんとのお話しとコーンウォールケルト遺跡のご紹介をいたします。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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