まずは、パドストウ(Padstow)で昼食を
ウエッドブリッジを後にしてキャメル川沿いに8kmほど北西に車を走らせると河口の小さな港町パドストウがあります。キング・アーサー伝説にまつわる城、ティンタジェル城に向かう途中昼食のために寄りました。
パドストウの港
ホテルを出発する時、コーディネーターの藤原さんが「食事はパドストウでしましょう」とにこにこしているので、理由を聞いてみたところケルティック・シー(ケルトの海)と呼ばれる海に突き出ているコーンウォールは新鮮な魚介類が採れる豊かな場所。その中でもパドストウはシーフード・レストランが数多くロンドンからも沢山のお客さんが集まることで有名な場所なので、是非食事をして欲しいとの事でした。考えてみれば飛行機で移動の後ホテルのパブでの食事、どちらも機内食のような状態でしたので、心配した藤原さんがスタッフのために話題のレストランを予約していてくれたようです。
リック・スタイン(RICK STEIN)の シーフード・レストランです
パドストウに入ると天候も良くのんびりした港町という感じでした。観光客らしき方も多くとても賑わっていました。レストランは港のすぐ脇にありました。そのレストランに着いてみてびっくりイギリスで大人気のシェフ、リック・スタインの店でした。パドストウは彼の縁の場所でもあるらしく、同じシーフード・レストランの支店が他の場所にもあり、彼の名前の名を冠したフィッシュアンド・チップスやカフェなどさまざまな店が町じゅうにあるそうです。今回も夕食はまったく予約が取れなかったそうでその人気の高さに驚きました。
鱈のオーブン焼き
このボリューム、日本のシーフード・レストランのつもりで注文すると、後で後悔しそうです。それほど体型的に大きくないイギリス人ですので、レストランといえども質実剛健な気風なんだと思いました。もっとも日本以外でヌーベルキュイジーヌ的な少量の盛りつけはあまり見かけない事に気づきました。仕事飯の我々にとってはありがたい盛りつけです。
リゾット
いつものように、各自がばらばらの注文をしてみました。昨晩がハンバーガーとチップス、ビールでしたのでやっと食事をした気分になりました。有名シェフのお店ということで少し緊張しましたが、ランチでしたので値段も一般的でとても好感の持てる内容でした。
蟹のサラダ
漁港の町だけあってどの食材も新鮮。日本人には馴染みやすい味で窓から見える美しい景色が味を一段と引き立ててくれました。満足してばかりもいられないので、デザートは省略して、ティンタジェル城へ向かうことになりました。
キング・アーサーとティンタジェル城遺跡
ティンタジェル城跡の案内看板
パドストウから35km北東の海に面した断崖絶壁にティンタジェル城はありました。入り口の看板には「Legendary birthplace of King Arther(キング・アーサー伝説の出生地)」と書かれていました。中世ケルト伝説の人物King Artherは聖剣エクスカリバーを持ち、円卓の騎士と共に侵攻してきたサクソン人を撃退し大帝国を設立した英雄として知られています。
ティンタジェル城下の断崖
キング・アーサー伝説は12世紀ジェフリー・オブ・モンマス著「ブリタニア、列王史 / Historiae Regum Britanniae」が人気を博し、広く多くの人々が知るところになったとされています。アーサー伝説には諸説あり、登場年代も古代末期、中世の二つがあります。ここでは中世説を取り入れているようです。
ティンタジェル城内
キング・アーサー物語はケルト神話的な要素が多く、アーサーを育て、仕えたとされるマリーンはケルトの僧侶であるドルイドで呪術を使うと描かれていることが多いようです。時代を超え様々な文献に断片的に描かれるキング・アーサーが実在の人物かどうかを示す事が歴史学上は困難ですが、ケルト氏族神の民間伝承の中で生まれた伝説上の王として、今でも多くの教訓やロマンを私たちに伝えケルト文化を知る上でとても優れた物語だと思います。
ティンタジェル城と教会を繋ぐ遊歩道
ティンタジェル城の対岸にはケルト最後の教会跡が残っています。その教会と城を結ぶ道はこの遊歩道だけです。その全貌はかなりの落差があり急勾配の階段を上るのすら登山のようでした。思わず足踏みしてしまいましたが下りてみることにしました。
かなり朽ち果てていますがなんとか形は残っています
ほとんどが土台部分の遺跡で、場所によっては城壁や建物の壁部が残っています。このエリアは地質的には泥岩質の場所で石は瓦のように薄く剥がれます。その石を使って組み上げられていますが大変な労力でなかったかと思われました。
土台だけが残っています
日本にも平家の落人集落と呼ばれる場所が各地にあり、それらは外敵の侵入を拒むように、天然の要塞に守られるような場所に作られています。新潟と長野にまたがる秋山郷などが良い例ですが、住む人間にとっても厳しい環境を強要します。その環境の厳しさの度合いがその住民の恐怖感と比例しているようにも思えます。このティンタジェル城も例外ではなく、攻めるに攻めにくい地形ですが平時の生活は大変なものがあっただろうと思わず想像してしまうような場所です。
ティンタジェル城跡
アーサー王の伝説は何冊かの本でも読み、映画も見ました。今回はアーサー王の生まれた場所の一つとされる、ティンタジェル城を訪ねましたが、その廃墟に立ち、渺々と吹く風にあたっていると、アーサー伝説が本当であるかどうかは問題ではないような気がしてきました。ローマ人が去った後の6世紀ごろ、この地にケルト人が住みつき城壁を築いた。海面から100m近い断崖に立つ城と教会、それは外敵から身を守るための切実な努力であったと思います。現在ティンタジェル城遺跡は観光地として多くの人々で賑わっています。多くの方達は歴史もご存じだと思います。その上でケルトという文化とキング・アーサーに豊かなロマンを求めているのではないでしょうか。殺伐とした現代社会の中で自然と対話しながら豊かな文化を花開らかせ、ローマをも恐れさせたケルトの文化、そんな悠遠な物語の中に真実を見つけているのかも知れないと思いました。次回はドルメンとマイクさんお奨めの教会をご案内したいと思います。