女性がひとりで作った石の劇場
コーンウォールの玄関のひとつローンセストンにあるセント・メリー・マグダーレン教会で中世の音楽家のレリーフを見学した後、我々はコーンウォールの西の果てランズ・エンド(Land's End)を目指しました。目的地までは150kmほどの移動でした。宿泊地もパドストウから西のペンザンスに移しました。ホテルで次の撮影の打合せ中、コーディネーター藤原さんからひとつの提案がありました。ランズ・エンドに向かう途中に女性がひとりで50年の歳月をかけ、絶壁を切り出して造ったミナック・シアターという劇場がある。ケルト文化とは繋がらないけれど見に行ったらどうかという提案でした。地図を見てみると通り道でしたので寄ってみることにしました。
ミナック・シアター上部から
現地に着いてみると、ポースカーノ湾に面した南斜面の断崖絶壁に海と接する形で舞台と客席が造られていました。崖の中腹を切り開いて建築された野外シアターは自然と一体化されたすばらしい石の建造物でした。石で作られた座席の背もたれにはマクベス、オセロなど、今までこのシアターで上演した演目がひとつずつ彫られ、演劇に対しての愛情ゆたかな思いが伝わってきました。この劇場は曲がりくねった階段から、舞台まですべてが石で出来ています。ここまですべてを石で造るという構想に制作者の強い思いを感じました。
野外シアター舞台部分
このシアターを建設した方の名はロウィーナ・ケイド(Rowena Cade)さんとおっしゃいます。1931年から1983年に亡くなるまで、劇場の土台から柱、装飾、デザイン、彫刻などをひとりでこつこつと造られたそうです。彼女はイギリスの裕福な家庭に育ちましたが戦争で一家が離散し、そのことを期にこの地に移り住んだと伝えられています。初めは自宅の庭で演劇上演を行っていたところ、現在の場所にシアターを造ることを思いつき、日々少しずつ岩を切り出し約50年という歳月を費やしてこの壮大な建造物を造ったと案内で知りました。彼女の亡くなった後も毎年5月から9月にかけて各地から劇団を招きさまざま公演が行われているようです。
グレートブリテン島とは思えない明るい海がすぐそこにあります
なぜ、これほどの大事業をひとりでおこなったのか。劇場を造るだけであれば大勢の人々を雇い、もしくは協力者を募ることも出来たはずです。献身的な協力者が1人いたとされていますが、それでも大変な労力と時間がかかります。演劇が好きだからという理由だけではとても考えにくい壮大な事業です。女性が自分自身の手で造り上げなければならなかった理由、そこまで彼女を突き進ませた思いとはなんだったのか。偉業を前にして、とても大きな疑問が私の中に湧きました。この時はなすすべもなく驚きとその疑問を持ちながら次の目的地に向かいました。
ケルトの生死感とミナック・シアター
疑問を持ったまま数年が過ぎました。そんな中、ユーロアジア文化とケルト文化で素晴らしい研究成果を数多く発表されておられる、多摩美術大学教授鶴岡真弓さんの講義をうかがう機会をいただきました。その講義の中でこのシアター建設の謎を解き明かせるようなお話しがありましたので紹介させていただきます。それは古代ケルトの思想で古くは日本にも通ずる生死感についてです。ケルト思想では人間の生は死からの再生として考えるそうです。輪廻転生は生からの循環ではなく、死からの再生の循環、その再生の過程を生と捉えるようです。その視点から捉えると人の生は死から再生していく中の活動ということになります。生があるから活動するのではなく、活動するから生があるという考え方です。
また鶴岡さんから「ヒューマン・スケール(Human scale)」(人の一生や1000年の単位)で考えるのではなく、「マン・カインド・スケール(Mankind scale)」(1万年、2万年という人類の単位)で生を考える視点で捉えても、人の一生には終わりも始まりも無く、活動だけが生ということになるというお話しをうかがいました。
ロウィーナ・ケイドさんがシアターを建築した周辺の風景
この話をうかがいながら、ふとロウィーナ・ケイドさんのことが頭に浮かびました。なぜ、あの場所で、石という建材をもちい、自分の手を使いひとりで一生をかけてシアターを建設したのかという、私の疑問についての答えのような気がしました。彼女は家族を亡くし、生きることの目的として、自分の生を50年という活動の中に埋めたのではないか。大好きな演劇という空間に時空を越えて寄り添うために、石という一番強い素材で大地と繋がる形でシアターを造りたかったのではないか。自分の生を埋め込むためには自分の手と汗と生きている間の時間すべてを活動として費やしたのではないかと思えてきました。
彼女はこの岩を切り開いていきました
講義の中で、もう一つ印象に残ったのは芸術や文化についてです。科学は謎を分解・解体し真理を特定する。芸術や文化は謎を解体せずに外側から解析し真理を表現するというものでした。ケルトが文字で書物を残さず、すべて口伝で文化を伝えたこと。神話という謎と暗示を後生に伝えたこと。それは次に来る者へ教訓を伝えながらも、活動していく上での自由な発想とその可能性を最大限に残す方法、制約を外す方法だったのかもしれないと思えました。ロウィーナ・ケイドさんもコーンウォールに移り住まわれているうちに、ケルト的な思想を持たれたのかもしれません。この旅の時点ではまったく謎だったことが鶴岡さんのヒントで自分なりに解釈が出来たような思いがしました。音を探す旅も謎を謎のままに真理を探究する旅なのかも知れません。次回はフランスのモンサンミッシェルと、瓜二つのケルトの島セント・マイケルズ・マウントを訪ねます。海を隔て300kmも離れた地に自然地形を同じくする聖地、また謎が増えてしまいました。どうぞお楽しみに。