自分でつくる ―手仕事の温もり―
「裂織(さきおり)」という織物をご存知ですか? 古い布を手で細く裂き、それをヨコ糸として織り込んで、新しい布地としてよみがえらせたもの。布が貴重だった江戸時代に、着古した着物や布を再生する機織りの一技法として生み出されました。人が手をかけることによって、ものの命を生かす。それは、現代の私たちがどこかに置き忘れてきたことかもしれません。
ものを、いとおしむ
もともと日本の農村では、綿や麻などを栽培して紡ぎ、織り上げて、家族の着るものを自前でつくってきた歴史があります。しかし、寒冷な気候のために綿花の育たなかった東北地方では、綿はとても貴重なものでした。そんな中で、布を大切にする女性の知恵から生まれたのが裂織です。それは、目の前にあるものをいとおしみ、少しでも永く生かして使おうという「想い」が込められたものでした。裂織は全国各地にあったようですが、生活環境の厳しい北国で特に盛んに織られ受け継がれてきたのは、自然の成り行きともいえましょう。その代表的なものが、青森県南部地方の「南部裂織」です。
家を照らす古布
南部裂織が生まれたのは、約200年前と言われます。当初は樹の皮や麻の繊維で織っていたようですが、明治になって北前船で津軽に古い木綿が入ってくるようになってから、ヨコ糸に木綿を裂いて使うようになりました。とはいえ、木綿が貴重品であることには変わりはなく、米1俵が1円50銭という時代に、束ね積みした木綿が1貫目(3.75kg)で70銭もしたとか。いかに貴重品だったかがわかります。
その古布を裂いたものは「ヌキ」と呼ばれ、暇をみては細く裂いて、毛糸玉のように巻いておかれました。機織りは農閑期の冬場に行う仕事なので、それまでに少しずつ溜めていったのでしょう。このヌキは、それが置かれていることで、暗い家の中に色(=明るさ)をもたらす効果もあったといいます。
織るのは、地機(じばた)と呼ばれる脚のない古型の布織機。腰に紐を巻きつけて織るそのスタイルは、織り手と機が一体となって織るものだけに、織る人のその日の体調によって仕上がりも左右されます。一日に織れる量は、せいぜい1メートルくらい。電気も使わず、ただ自分の力だけをエネルギーに、コツコツと織り続けるのです。
想いをこめる
時代の流れの中、ほとんどの土地の裂織はすたれていきましたが、南部裂織りは北国に欠かせない日用品の「こたつ掛け」で「裂織」の文化を伝えてきました。そのこたつ掛けは、180センチ四方の五枚はぎで、五原色をふんだんに使ったカラフルな縞で織られたもの。四方は、茜(あかね)木綿で縁取りされています。この色は「そこに火があるから気をつけて」と注意を促す「火伏せ(ひぶせ)の赤」。「火の神」の色とも呼ばれます。同時にそれは、雪国の暗い部屋に少しでも明るいきれいな色を取り入れたいという、女性の細やかな思いやりでもあったでしょう。
こたつ自体を置く家も減ってきて、今では裂織のこたつ掛けを使う家は少なくなりました。その一方で、形見のきものなど想い出の品を裂織の帯やバッグなどの小物にして再生し、若い世代に残したいという人が増えているとか。裂織は、記憶や想い出も織り込まれた究極のリサイクルと言えるかもしれません。
「ものにはストーリーがあるのだから、その想いを大事にしたい」──南部裂織を織り続けている女性の言葉です。手仕事の温もりというのは、作り手のこんな想いから生まれ、使う人に自然に伝わってくるものなのでしょう。
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