自分でつくる ―綿入れ―
「四月一日(朔日)」と書いて、「わたぬき」と読む苗字があります。旧暦の4月1日は、冬から春への衣替えの日。冬の寒さをしのぐために綿を入れていた着物(綿入れ)を脱ぎ、綿の入っていない着物に着替える日でした。綿入れの綿を抜いたことから「綿抜きの朔日(わたぬきのついたち)」とも言われ、「四月一日=わたぬき」という読み方が生まれたのだとか。季節に寄り添いながら、さまざまな工夫を凝らして生きてきた先人たちの暮らしぶりがうかがえる話です。
日本の四季と衣替え
四季の変化に富む日本で、私たちの先祖は自然に親しみ、自然と一体になった文化を育んできました。季節によって衣服や調度品を改める「衣替え」も、そのひとつ。現代のように暖房も冷房もなかった時代、人々は衣類を細やかに調整することで自然の変化に対応し、同時に衣服によって季節感も表現したのです。
衣替えはもともと平安時代の宮中行事として始まったものですが、鎌倉時代になると武家や庶民の間にも普及していきました。そして江戸時代の武家社会では、1年を4期に分け、それぞれに着用する衣服まで幕府によって決められていたと言います。その制度とは、旧暦の●4月1日~5月4日は袷(あわせ=裏地付きの着物)●5月5日~8月末日は帷子(かたびら=裏地なしの1枚仕立ての着物)●9月1日~9月8日は袷●9月9日~3月末日は綿入れ(表地と裏地の間に綿を入れた着物)といったもの。旧暦9月9日を現代の暦にあてはめると今年は10月5日になりますから、いま時分は「綿入れ」の季節に入っているわけですね。
綿入れのいろいろ
綿入れ長着、どてら(丹前)、綿入れ羽織、綿入れ半纏(はんてん)、綿入れちゃんちゃんこ、ねんねこ半纏・・・昔の人は、冬の寒さをしのぐためにさまざまな綿入れをつくっていました。もんぺや腰巻にも綿入れがあったといいます。冬場に赤ちゃんをおんぶするお母さんは、ねんねこ半纏を着ていて、その温もりで、背負われた赤ちゃんは真っ赤なほっぺをしていたものです。
東京大田区にある「昭和のくらし博物館」には、多くの綿入れが残されています。中でも多いのが綿入れ半纏で、たいていは着物や羽織の傷んでいないところを取って仕立て直したリサイクル品。古い着物も捨てることなく使い切るという、当時のていねいな暮らしぶりが偲ばれます。そして、もっと古い時代にさかのぼれば、「綿抜きの朔日(わたぬきのついたち)」という言葉が示すように、季節によって綿を入れたり抜いたりしながら、同じ着物を上手に着回すこともしていたのでしょう。こうした暮らしは、一家の主婦の手仕事によって支えられていました。
現代の綿入れ
「綿入れ」と言えば、文字通り木綿のわたを入れたものを想像しますが、実は木綿わたが普及したのは江戸末期のこと。それ以前は真綿(まわた=繭を引きのばして作った絹のわた)を入れたもので、中わたの素材は時代とともに変化しています。
中わたを入れたものを「綿入れ」と呼ぶなら、キルトなどは、さしずめ西洋版綿入れと言えるかもしれません。日本古来の綿入れを自分で作るのはちょっとハードルが高そうですが、キルト地などを使えば器用な人にはできそうですね。また、薄手のダウンベストやダウンジャケットなどは、まさに現代版ちゃんちゃんこや半纏。日本古来の綿入れを現代の素材でリメークした、機能的な室内着と言ってもよいでしょう。
住環境の変化や下着の進化に連れて、現代では綿入れを着る人は減っています。その一方で、一人一人に節電が求められているのも時代の要請です。暖かい衣類を1枚重ねることで、暖房の設定温度を少しでも下げることができたら、そしてその1枚を自分の手でつくることができたら、素敵なことだと思いませんか? みなさんのご意見・ご感想をお聞かせください。