ふだん着の縞 マドラス
経糸と緯糸。織物を成り立たせているタテ糸とヨコ糸だけで、縞模様や格子柄が生まれている。つくづく見た生地の美しさに目を留めることはありませんか。日常に何気なく選んでいるシャツもルーツをたどるとさまざまな魅力が見えてきます。
インドの東南部、チェンナイで作られてきた縞模様は総称してマドラスと呼ばれています。ベンガル湾の港に位置する市街をマドラスと命名したイギリス植民地時代の名残ですが、広く世界に行き渡ったこの名称が消えることはないでしょう。
広大なインドから産出される布織物は産地によって異なるので、無限の種類があると言えます。ここでは、日常生活で着用する「ケ」の衣服と祝祭用などの衣装を含む「ハレ」の服に大きく分けて、インドから継承する布について考えてみたいと思います。
サリーは、インドというとまず思い浮かべる女性の姿ですが、博物館などで紹介されることが多いのは金糸を織り込んだり精緻な刺繍を施すなど贅沢な織物で、宮廷衣装の系譜が多いようです。一方、旅行先のインドでは家庭内でも土木工事のような仕事場でも、サリーが着られているのを私たちは目にします。でも、いわば普段着の「ケ」のサリーは消耗品として消えていきます。特別に良く高価なものが丁寧に保存されて次世代以降の人々の目に触れることになるのはどこの国でも同じです。
草木染めの先染め織物から始まったマドラスは、現在では化学染料を駆使し、世界中からの大量の需要にこたえる生産地として知られています。マドラスは縦(経)縞ストライプが生産の70%だったという時代から横(緯)縞が加わり縦横の格子柄が半々となるような経緯をたどってきました。初期の堅牢度の弱い染色で色がにじみ出るのが問題にされたり、それが逆にマドラスらしさと受けとめられてもいます。絣の故郷はここという説が生まれるのもマドラスで、大柄のコンテンポラリー・イカット(現代絣)はデザイナーの意欲をそそる素材となっています。
大航海時代が始まる15世紀半ばからインドの風物が西欧の人々を魅了し、東インド会社(1600年設立)の設立でどっと輸入量がふえた布織物に「マドラス」は現れました。チェンナイという地元の名前をマドラスに変え、そこから産出される縞柄をマドラスと呼ぶようにしたイギリスの貿易政策はしたたかなものです。そして興味深いのは縞・格子柄でよく話題になるのがタータンチェックとマドラス柄の類似や比較で、東インド会社に優れたマーチャンダイザーがいてマドラスの生産指導に関わったのかもしれません。
素材がウールの織物とコットンの織物、どちらも縦・横の糸の交差に生まれる柄たちと考えると日常何気なく使っているものにも一段と興味が沸きます。
ほとんどの職人が子供の時から見様(よう)見真似で織機の前に立ち、外部からの訪問者や研究者には数学や幾何学を勉強しなければ考えられないと思えるような織り柄をこなしてきた、それがマドラスに貯えられた伝統ということができます。生産が多様になった現在でもそのDNAが生き続けているのがこの産地、チェンナイ(マドラス)からの織物たちです。
木綿布地の生産を中心とするチェンナイでは生産者に優しい有機栽培から生まれる綿織物も日増しにふえています。格安の需要にこたえる綿の質の研究も盛んです。インドからの「ケ」の素材とマドラスをとらえ直して、楽しみたい季節が来ています。
今までに愛用されたマドラス柄やシャツの思い出などお持ちではありませんか。こだわりの私的服装史として、書いて下さることを歓迎します。