仕事着
第64回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞した映画「小さなおうち」では、黒木華さん演じる女中のタキちゃんが、いつも、かっぽう着(割烹着)を着て、かいがいしく働いていました。かつてそれは、家事をする女性に欠かせない仕事着であり、少し年配の方なら、そのままお母さんのイメージに重なる方も多いでしょう。今回は、そんな仕事着についてのお話です。
たすき掛けから、かっぽう着へ
時代劇などで見かける女性は、料理や家事をするとき、たすき掛けと前垂れ(まえだれ)姿で登場します。きりりとして美しいのですが、着物の汚れをカバーできるかという現実的な話になると、少し心もとない気がしないでもありません。そして生まれたのが、かっぽう着。明治15年創立の赤堀割烹教場(現、赤堀料理学園)で、生徒たちの着物が油や水で汚れるのを防ぐために考案されたといわれます。そこは上流階級の女性たちのサロン的な場だったといいますから、働きやすさより汚れ防止優先だったのでしょう。当初のものは、布を体の前後に掛けて、たすきで押さえるスタイルだったとか。その後、着物の袂(たもと)が収まるたっぷりした筒袖(つつそで)になり、汚れを防ぐだけでなく、働きやすく改良されました。
昔の仕事着
あまり活動的とは思えない着物を日常着としていた時代、当時の人々は、どんなものを着て働いていたのでしょう。
すでに江戸時代、火消しや鳶職(とびしょく:高い足場の上で仕事をする人)、飛脚といった人たちは、今の洋服に近いものを着ていました。上半身は袂(たもと)のない筒袖で、下半身は股引き(ももひき)、というスタイルがそれ。その上に、火消しなどは、何度も藍染めを重ねて仕上げた難燃性の丈夫な半纏(はんてん)を着ていたといいます。
忍者や山伏(やまぶし)が履いていたのは、太ももからふくらはぎにかけてちょっと「ふくらみ」があり、裾を絞ったもの。西洋のニッカーボッカーズに似たボトムスで、西洋では裾が邪魔にならないとして、自転車や野球、ゴルフ、乗馬、登山などのスポーツウエアとして広まったものです。洋の東西を問わず同じような形に行き着くのは、機能性を追求した必然の結果なのかもしれません。
工事現場のニッカーボッカーズ
現在の日本でこの流れを汲むのは、土木・建設工事に携わる人たちが履く「鳶(とび)服」と呼ばれるズボン。脚と生地の間にたっぷりゆとりがあって、膝を曲げたときの圧迫感がなく、動きやすいのが特徴です。この「ふくらみ」、素人目には何かに引っ掛かりそうな気もするのですが、実は、高所作業のときに威力を発揮するのだとか。「サーカスの綱渡りが持つ棒のように高所での移動時のバランスを補い」あるいは「昆虫の触覚のように工事現場の突起物を服の一部で察知して事故を未然に防ぐ」と解説する人もいます。
仕事着でおしゃれ
とはいえ、機能性一点張りでは味気ない。そこにおしゃれ心を盛り込みたい、と思うのも人情でしょう。
現在の鳶服は、ふくらみや長さによって、七分、八分、ロング八分、超ロング八分など、バリエーションもいろいろ。鮮やかな色使いのものも増えていて、時代の流れとともにファッション性を色濃く映しています。
かつて農作業のときに着ていた野良着も、実用一点張りではなかったようです。「昔の岩手・農家の衣服」という展覧会(平成18年8月~11月)の記録によると、野良着は「地域の共同作業などでは"よそ行き着"にもなった」とあり、特に田植えの場は「適齢期の娘たちや新顔の花嫁を地域の人々にお披露目する機会」だったらしく、「よそ行き着的衣装として吟味した」とあります。
野良着を繕うために始まった刺し子が、補修の域を超えて美的に高められていったのも、こうした感覚と決して無縁ではないでしょう。仕事着は、機能性とファッション性のバランスの上に成り立っているのかもしれません。
貨物船で荷役作業などに従事する人たちが履いていたカーゴパンツ、ゴールドラッシュに沸くアメリカで鉱夫たちのワークパンツだったジーンズ、ペンキ屋さんや整備士さんなどの作業着に使われるつなぎ 仕事着から発して、いまでは日常使いになっている衣服も数多くあります。それらが「カッコよく」見えるのは、きっと動きやすい衣服を身につけることで、着る人の生命力が発動するから。「仕事」という言葉の意味を広くとらえるなら、毎日をいきいきと生きるための衣服が仕事着といえるのかもしれません。
みなさんは、どんな仕事着を着ていらっしゃいますか? また、仕事着に何を求められますか?