研究テーマ

半自給のくらし ―「米」と日本人―

日本人の主食といえば、もちろんお米です。春に田植えした早苗が、夏に青い稲穂となり、そして秋には黄金色の実りとなる......稲作が始まった頃から続くこの生活風景の中で、季節の移ろいも敏感に感じとってきた日本人。「米」という字を分解すると八十八ですが、八十八回もの手間をかけながら、先人たちは「自然」と関わり、そのやさしさも厳しさも受け止めてきたのでしょう。日本人の自然観の多くは、稲作によって育まれたと言えるかもしれません。

米の栽培

稲作が始まったのは2000年から3000年前、縄文時代後期のことと言われています。弥生時代に入ると稲作を中心に「定住」できるようになり、集まって住む人々は、コミュニティーの中で役割分担をするようになっていきました。
九州から始まったとされる稲作が、東北地方に伝わるまでの期間はわずか300年。その間、栽培する土地も畑から水田へと進化しつつ、短い期間で一挙に広がっていったようです。そしてそれは、経済的な豊かさを生み出しただけでなく、稲作に伴う技術や道具の進化を促し、また日本の独特の景観をつくりだすことにもなりました。
時代が下って江戸時代になると、「加賀百万石」などと言われるように、石高(こくだか=米の生産高)はその地方の財力を示す指標にもなっていきます。
しかし、戦後の近代化を経た今、都会では農地が激減。地方では、減反政策もあって、小規模な農家が米作りで生きていくことは難しくなり、耕作放棄地が増えているのも現状です。

増えつつある半自給の暮らし

そんな状況の中でも、つい最近まで、地方では「半自給」の生活が当たり前に行われてきました。出稼ぎやサラリーマン化で農家の主な働き手が不在になるという社会的要因もあるでしょうが、そんな生活を支えていたのは、「せめて、家族の食べるものは自分の手でつくりたい」という人間らしい素朴な想いだったのではないでしょうか。
かたや都市部でも、「自分たちの食べものはできるだけ自分たちでつくってみよう」という半自給の考え方が芽生え、野菜や米作りを中心に、少しずつ実践する人たちが増えつつあります。これらは、食料危機というような切実な問題としてとらえられているのではなく、現段階では、額に汗して自分の食料を得る喜びや、自然を身近に置く試みとして行われていることが多いのかもしれません。たとえそうであっても、ものを買って消費するだけの立場から、「つくる側」に立つという大転換。価値観が大きく変化する兆しとも言えそうです。半自給の暮らしは、近代化によって切り離されてしまった人と自然との関係を、もう一度取り戻していこうという人間の根源的な欲求によるものかもしれません。

米から始まる日本の食文化

海外で永く暮らす人は、日本ほどおいしいお米を育て、それをおいしく食べる文化はないと実感するそうです。
ご飯そのものを味わうといえば「おにぎり」ですが、ある調査によると、日本人が1週間に食べているおにぎりの平均個数は3.7個。1年間で一人200個近くを食べている計算になります。この数字だけ見ると、「米離れ」という言葉が不思議に思えるほどですね。また、香の物、佃煮、海苔、ふりかけ、納豆、味噌汁などなど...ご飯を引き立てる食品を数え上げれば、きりがありません。
一方、ご飯をおいしく炊くことにも一所懸命です。その日に使うだけの量を炊く直前に自分で精米する人、自分の好みに合わせて七分搗き五分搗きなど精米歩合を変える人、米はもちろん仕掛けの水にもこだわる人...と、いろいろ。炊飯器も、おいしさを競って、どんどん進化しています。
一粒の中に深い味わいがあり、毎日食べても飽きないご飯。そのご飯を中心に据えたヘルシーな食事は、日本が世界に誇れる食文化とも言えそうです。

こうした食文化を守るためにも、そのお米を、わずかでも自分の手でつくってみるのは、大切なことと言えるでしょう。そして、その経験を通して自然とつながり、食の大切さをもう一度深く認識していく。小学校の総合学習授業などで「米のバケツ栽培」などをする試みにも、こうした狙いがありそうです。
日本人は今、大切なものをもう一度、自分の手に取り戻そうとしているのかもしれません。
みなさんは、お米について、どう思われますか。

研究テーマ
食品

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