地方野菜と伝統野菜
突然ですが、問題です。「源助」「桃山」「祝(いわい)」「ねずみ」「聖護院」「守口」「三浦」「亀戸」「練馬」 さて、これらの後ろに共通してつく言葉は何でしょう? 答えは━━「大根」。 つまり、これらは大根の品種の名前です。いま広く出回っている大根のほとんどは「青首」ですが、全国には古くから栽培されている地大根といわれるものが数多くあります。今回は、地域の風土に育まれ、地域の食文化とともに受け継がれてきた、地方野菜についてのお話です。
野菜とタネ
地方野菜とは、ある地域の中で、古くから栽培・利用されてきた在来種の野菜。練馬大根、亀戸大根など、地名をつけて呼ばれることが多いのは、そのためです。
以前のコラム「種を考える」でも触れましたが、こうした在来種の野菜を語るとき、タネの話は避けて通れません。なぜなら、栽培し続けてきたということは、世代を超えて種採りをし続けてきたということだから。長い歴史の中で、交配と選抜を何代も繰り返して、その地域の気候風土にあったタネが残され、受け継がれ、地域の食文化もつくられていったのです。
カブから生まれた野沢菜
そうした野菜はまた、人の移動とともに各地に伝えられ、さらにその地に適した品種として分化していきました。
たとえば長野県の伝統野菜として知られる「野沢菜」は、宝暦6年(1756年)、野沢温泉村にある健命寺の住職が京都に遊学したとき、当時関西周辺で栽培されていた「天王寺かぶ」のタネを持ち帰ったことが始まりとされています。ところが、なぜか信州ではカブが大きく育たず、葉と茎がよく育ったため、それを利用することに。天王寺かぶから野沢菜という新たな在来種が生まれ、野沢菜漬けという郷土の味が生まれたのも、タネが長い年月をかけてその地の環境に順応した結果だったのです。
野菜の画一化
しかし、70年代の高度成長とともに、昔からその地方にあった品種は衰退していきました。野菜の流通が急激に近代化され、日本中で「単品、大量生産、大量供給」という野菜作りが進められたためです。より多く収穫できるものを、旬の時期以外にも収穫できるものを、ハウス栽培に適したものを、輸送時に効率のよいものを と追い求めていった結果、その地方独特の味や文化をつくる地方野菜は追いやられていくことに。「生物多様性だ、地方の時代だといいながら、野菜の世界では真逆のことが進行している(「いのちの種を未来に」野口勲/創森社)」のです。
伝統野菜を見直す
しかしその一方で、地域に根づいた野菜を掘り起こし、地域ブランドとして育てようという動きも広がっています。在来種の野菜の中でも、各地の公的機関が特産品としてお墨付きを与えた、「伝統野菜」と呼ばれるものがそれ。九条ねぎや賀茂なす、聖護院大根などで知られる「京野菜」を筆頭に、「加賀野菜」「なにわ野菜」「大和野菜」「信州野菜」「愛知野菜」など、いろいろ。
東京にも「江戸東京野菜」があり、練馬大根をはじめ、伝統小松菜、寺島なす、馬込三寸人参、滝野川ごぼうなどが認定されていて、それを普及させ地域振興に一役買う案内人を育てるための「江戸東京野菜コンシェルジュ育成講座」まであるといいます。
食べることで、つなぐ
こうした活動の背景には、地域おこしという以外に、このまま放っておけば、その土地特有の野菜や食文化が途絶えてしまうという危機感もありそうです。これまで希少な野菜が生き続けてきたのは、農家の人たちが自家需要のために細々と栽培し、タネをつないできたから。でも、それにも限界があるでしょう。
私たち生活者にできることは、市場に出回っている野菜だけが野菜ではないということに気づき、そしてその多様なおいしさに触れ、気づくこと。「食べる人」が居てこそ、伝統的な野菜たちも栽培され、そのタネが受け継がれていくのです。そしてそれは、日々の食卓を豊かにしてくれるだけでなく、野菜の特徴を生かした調理方法や季節を彩る行事など、その土地に生きる知恵や文化そのものを引き継ぐことにもつながるでしょう。
多様性が大切といわれる時代の中で、私たちが口にする野菜は、どんどん画一化されています。それは、たとえば旅に出て、どこの街の駅前も同じ風景、というのに似てはいないでしょうか。いつでも同じものが食べられる便利さを手に入れた私たちは、その一方で、そこにしかないもの、その時にしかないものを味わう喜びを失ってしまったのかもしれません。
みなさんは、ご自分の地域に根づく野菜をどのくらいご存知ですか?