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七種粥

お正月休みも終わり、世の中は仕事モードに切り替わるころですが、旧暦ではまだお正月。正月七日の今日は、江戸幕府が定めた正式な祝日(式日)、五節句のひとつです。「人日(じんじつ)の節句」といわれてピンと来なくても、「七草の節句」といえばうなずかれる方も多いでしょう。この日に、無病息災を願って食べるのが「七種粥(ななくさがゆ)」です。

節句と植物

五節句とは、1月7日の「人日(じんじつ)の節句」に始まり、3月3日の「上巳(じょうし)の節句/雛祭り」、5月5日の「端午(たんご)の節句/子どもの日」、7月7日の「七夕」、9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句/菊祭り」の総称。季節の変わり目に、邪気を祓(はら)い、無病息災・豊作・子孫繁栄などを願う行事で、神にお供え物をすることから「節供(せっく)」の字もあてられます。
それぞれの節句には、雛祭りの桃、七夕の竹といったように関わりの深い植物があります。それは、旬の植物から生命力をいただくことで、邪気を祓うため。人日の七種粥もまさにそれで、清らかな七草を食べて春の命を体内にいただくことが目的なのです。

自然の息吹にふれる

五節句が定められる以前から、日本には、春先に野山に出て、萌え出た新しい生命力を自然界からいただく「若菜摘み」という風習がありました。
━━君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ━━
百人一首でおなじみの光孝天皇の歌も、いまの七種粥の元になった「若菜摘み」の行事を詠んだもの。「若菜」は決まった植物の名前ではなく、春に生えてきた食用や薬用になる野草の総称です。

旧暦と新暦

寒いこの時季に若菜なんて摘めるはずがない、と思うのは、新暦に慣れた現代人の感覚。旧暦のお正月は新暦の1月下旬から2月上旬にあたりますから、その6日後の七草のころには春の気配が感じられ、若菜摘みもできたのでしょう。実際、『枕草子』には「七日の日の若菜を、六日に人の持て来、さわぎとり散らしなどするに…」とあり、清少納言が生きていた平安時代の京都で、1月7日の七草が野原で採れていたことがわかります。
しかし、新暦の1月7日では、野原に自生している七草すべてを集めることは不可能。この時季にスーパーやデパートの食品売り場に並ぶパック詰めの七草セットは、ほとんどがハウス栽培に頼らざるを得ません。私たち現代人が伝統的な行事を忘れてしまいがちな理由のひとつに、旧暦から新暦に移行したことで生じた季節感のズレということもありそうです。

七草のいろいろ

七種粥に入れる草は、時代により地方により異なりますが、現代一般的にいわれているのは「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」の7種。セリは、鍋物でもおなじみの香りのよい山菜。ナズナはペンペン草のことで、江戸時代にはポピュラーな食材だったといいます。ゴギョウは、別名ハハコグサ(母子草)で、草餅の元祖。ハコベラはビタミンAが豊富で、ホトケノザは食物繊維が豊富。そして、スズナは蕪(かぶ)のことで、スズシロは大根のこと。こうして見ると、セリと蕪、大根以外は、現代人の私たちが「雑草」とひとくくりにしている野の草たちです。
「雑草という草はない」とは、植物学者でもあった昭和天皇の言葉ですが、実際、名もない(と私たちが思っている)草々の一つひとつを、昔の人たちは見つめ、理解し、暮らしの中に取り入れていたのでしょう。
そういえば、戦時中には「夏の七草」というのもあったとか。食糧難の時節にも食べられる植物として、「アカザ、イノコヅチ、ヒユ(葉鶏頭)、スベリヒユ、シロツメクサ、ヒメジョオン、ツユクサ」の7種類を「夏の七草」に選定(日本学術振興会学術部・野生植物活用研究小委員会/1945年6月20日)。さらに、戦後の1946年9月10日、同じ内容のパンフレットも出版されたといいます。

身体にやさしい七種粥

七種粥が定着した背景には、お正月も関係がありそうです。7日といえば松の内(関東では1月1日~7日)の最後の日。お正月でご馳走疲れの胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給にもなることから、この日に七種粥を食べることで新年の無病息災を願ったのでしょう。
お正月といわず、昔に比べれば「毎日がご馳走」といった感のある現代人の食生活。年に一度というより、毎月7日に七種粥を食べるくらいでもいいのかもしれませんね。また、環境に恵まれた方なら、旧暦の七草(今年は2月25日)のころ、野に出て若菜を摘んでみるのもいいでしょう。

みなさんはもう、七種粥を召し上がりましたか? また、季節の行事にまつわる食事について、どう思われますか? ご意見、ご感想をお寄せください。

研究テーマ
食品

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