包丁に秘められた力
2015年開催されたミラノ万博は、万博史上初めて「食」をテーマにしたものでした。世界の「食」の紹介や地球の未来を見据えた「食提案」など、各国のパビリオンがさまざまな活動を繰り広げるなか、行列の絶えなかったのが日本館。和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたこともあり、日本の伝統的な食文化が世界で注目を集めているのがわかります。そんな和食を陰で支えてきた大切な道具が「和包丁」でした。
世界で注目を集める和食
かつてヌーベル・キュイジーヌの旗手ポール・ボキューズは日本の会席料理や京料理の調理法・盛りつけに影響を受けて、新しいフランス料理をつくり上げました。素材を生かす調理法、素材のもつ力とうまみを引き出す調味料、料理ごとに器をかえる盛り付け、そこに添えられる季節の彩り
そうしたものが相まってつくりあげる日本の食文化に、触発されたのです。
フランス料理の巨匠が見たものは、食材に対する日本人の深い思いであり、長い歴史の中で培ってきた包丁の技の結晶でもあったでしょう。
和食と包丁
日本料理を印象づける要素のひとつに、食材の「切り口」があります。鮮度を際立たせる刺身の切り口、おでんの大根や里芋のていねいな面取り、お新香のキュウリや白菜のみずみずしい切り口などなど。ていねいな包丁使いによって素材を引き立て、見た目でも楽しませてくれるのが和食です。
日本では、包丁さばきを神事化した「庖丁式」という奉納行事も伝承されてきました。包丁仕事を通して料理の美しさを追求し、もてなしの心へとつなげていく。それは、日本人独特の美意識であり、同時にまた、素材の命をいただくことに対する感謝の表れともいえそうです。
日本独自の刃物、和包丁
海外のものに比べて日本の包丁が「独特」と言われる理由は、その構造にあります。海外の刃物のほとんどは1種類の鋼材でつくられますが、日本の包丁は硬鋼・軟鋼2種類の組み合わせによって強度と切れ味をつくりだした日本刀と同じ構造。「カミソリ」と評されるほど鋭利なのに、衝撃に強く折れにくいのは、こうした構造によるのです。西洋では、刃物も刀剣も1種類の鋼材でつくられているので、焼き入れができません。そのため、硬度が低く、ある程度の厚みがなければうまく切れないといいます。
そんな構造上の違いから、西洋の刃物の多くは、力を使って切る「押し切り」。一方、日本では「引き切り」や「そぎ切り」など、さまざまな技を進化させてきました。また、野菜には菜切り、魚をさばくには出刃(でば)、刺身には柳刃(やなぎば)と、食材や調理法によって包丁を替えるのも日本ならでは。和包丁には、切り口にも美を求める日本人の美意識が込められているといってもよいでしょう。
海外で評価される和包丁
日本食の評判が高まるにつれて、いま海外では和包丁に魅せられた料理人が増え、日本の包丁が数多く輸出されるようになったといいます。
その一方、日本国内では、包丁の販売数は減少しているとか。料理人の数そのものは増えているのですが、チェーン展開の飲食店ではセンターキッチンで調理するため、店では温めるだけのところも多く、その調理場ではペレットナイフ一本で事足りるのかもしれません。
また、一般家庭でも「切り身」や「半加工」の食材を使うことが多くなり、包丁を使い分ける必要がなくなっています。切り口にまで細やかな気を配り、もてなしの心を表してきた包丁使いの文化は、現代の暮らしのなかでは、風前の灯といえそうです。
忙しい現代生活において、食材の切り口にまで気をつかうのは難しいことかもしれません。でも、日々の家庭料理のなかで、包丁使いを意識することなら私たちにもできそうですし、子どもと一緒に楽しめば食育にもつながりそうです。ほんの少し意識を換えるだけで、暮らしの印象は変えられるかもしれません。