研究テーマ

みかんの島のジャム屋さん

新型コロナをきっかけに、都会から地方への回帰が話題に上るようになりました。多くの人が在宅勤務を経験したことで、生活意識に変化が起きているのでしょうか。こうした流れは今に始まったことではなく、それよりずっと以前から地方での暮らしを選び、すでに地域に根ざして生活している人も少なくありません。今回は、そんな人の中から、瀬戸内海の島で、そこでしかできない「ものづくり」をしているジャム屋さんをご紹介します。

ジャムに魅せられて

ショップの隣りに併設された「ジャムズカフェ」は、山口県の食べログで№1に選ばれるほどの人気店。目の前に広がる瀬戸内海の風景を楽しみながら、ゆったりくつろげます。

そのお店は、手作り無添加ジャムの専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」。瀬戸内海国定公園の西の端、山口県の周防大島にあります。約1万6100人の人が暮らす島の面積は、約138キロ平方メートル。淡路島、小豆島に次いで瀬戸内海で三番目に大きな島です。山地が多く、その斜面と年間平均気温15.5℃という温暖な気候を生かして、昔から多種多様な柑橘栽培が行なわれてきました。
そんな島にIターンして2006年にジャム屋さんを始めたのは、大手電力会社のサラリーマンだった松嶋匡史(まつしまただし)さん。きっかけは2001年、新婚旅行で訪れたパリでの出合いでした。ショッピングする奥さんを待つ間、時間つぶしに覗いたコンフィチュール(フランス語で「ジャム」)専門店で色とりどりのジャムの瓶を見て、その美しさに魅せられたといいます。
帰国後、「ジャム屋を始めたい」と宣言。当初は反対していた奥さんを説得し、ジャムの作り方を一から独学する傍ら、二人で土地探しを始めました。そんなとき、「周防大島で店を開いてもらえないか」と声をかけてきたのは、島で寺の住職をしている奥さんのお父さん。高齢化が進む島では、若い力を必要としていたのです。当初は、「おしゃれな店を経営するなら消費地に近い都市部で」と考えていた松嶋さんですが、この申し出をすんなり引き受けます。決め手となったのは、原材料となる果樹がすぐ身近に豊富にあることでした。

地域と共に発展したい

みかんに限らず、大きさや形が規格外の果物は生食用から弾かれ、加工用原料として安く買いたたかれるのが普通です。でも味が違うわけではなく、生産農家の人たちが手間ひまかけて大切に育て上げてきたことに変わりはありません。そうした果物を、松嶋さんは、適正な価格で買い取ることにしました。
また、手作りにも徹底的にこだわっています。機械化すると素材ひとつひとつの特長を生かしにくいというだけでなく、人手をかけることが地元の雇用にもつながるから。地域を単に安い原材料や労働力の供給地とみるのではなく、地域に利益を還元しながら、自分たちもちゃんと利益を上げていきたいという思いから発したことでした。
もちろん、原材料や人件費が上がれば、商品の値段は高くなります。瀬戸内ジャムズガーデンで販売するジャムの値段は、120グラムの瓶入りで800円前後。決して安くはありません。でも、素材の個性を生かした豊かな味わいや周防大島という自然環境、作り手の顔が見えることなどが共感を呼び、県内外から大勢の人が訪れるまでになっていきました。

みんな違って、みんないい

ここで作られるジャムは、大量生産・大量消費とは一線を画す、多品種少量のジャムです。ジャムの原材料となる果実や野菜は農産物ですから、その年々の気候や生産者、畑の立地、土質、収穫の時期によって、味が異なるのはあたりまえ。そうした不均一な味を均質化するため、工業製品型のジャム作りではゲル化剤やpH調整剤などで味を調整することになります。
一方、松嶋さんの目指しているのは、素材の味の違いを楽しむジャム作り。たとえば、夏みかんのマーマレードは生で食べる旬より少し早めに収穫・加工することで爽やかな酸味を残したり、酸味が抜けにくい北斜面の柑橘はその酸味を楽しめるようレモンティーをイメージして紅茶で煮あげたり、寒さの続いた年の柑橘は苦みが出るのでその苦みを楽しむためにチョコレートで煮込んだり。素材の多様な個性に合わせて手作りされるジャムは、年間で180種以上。それぞれの果実の個性を見極め、生かして作るジャムは、特定の地域や収穫した年にこだわって醸造したヴィンテージワインを思わせます。

島の資産を受け継ぐ

瀬戸内ジャムズガーデンでは、生産農家から原材料を購入する一方で、自家農園でも20種類以上の果実を栽培しています。中でも特筆すべきは、耕作放棄地で荒れ放題だった石積みの段々畑の雑木を伐採・伐根し、何年もかけて整地した畑。その場所に、先人たちの思いを受け継ぐ特別な柑橘としてレモンの樹を植えて、10年が経ちました。
新型コロナの流行は、この島にも暗い影を落としています。営業自粛により、柑橘農家が丹精込めて育ててきた果実の多くが行き場をなくしているのです。このままでは多くの柑橘がフードロスとなり、先人たちが何十年もかけて積み上げてきた石積みの段々畑もまた荒廃してしまう。そんな危機感から、松嶋さんはこの段々畑で育てたレモンを使い、クラウドファンディングでプロジェクトを立ち上げようとしています。名づけて「レモンチェッロで未来を拓くプロジェクト」。レモンチェッロはイタリアで愛飲されているレモンのリキュールで、これを新たな地域特産品として開発しようというのです。お酒造りはゼロからのスタートですが、ジャム屋さんとして多くの柑橘を扱い、手仕事を通してひとつひとつの果物のことを深く知り、その個性を最大限に引き出す術を学んできた松嶋さんたちなら、決して不可能なことではないでしょう。

「コロナ禍のこんな時代だからこそ、未来を切り拓き、夢と希望を紡ぎたい」。瀬戸内ジャムズガーデンの活動は、これからの私たちに、ひとつの方向性を示しているといえそうです。

参考図書:
『里山資本主義』藻谷浩介 NHK広島取材班(角川oneテーマ21)
『進化する里山資本主義』藻谷浩介監修(the Japan times 出版)

関連サイト:瀬戸内ジャムズガーデン

研究テーマ
食品

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