動物の肉を食べない人たち
すき焼き、しゃぶしゃぶ、ステーキといえば、ご馳走の代名詞。揚げたてのとんかつや焼き鳥が好きという人もいるでしょう。ひと昔前まで野菜や魚が中心だった日本人の食生活ですが、いまや肉料理の方が一般的になってきた感さえあります。ところが最近、ふたたび野菜中心の食生活に戻る人が増えてきました。「ベジタリアン」や「ヴィーガン」と呼ばれる菜食主義の人たちです。なぜ、彼らは動物の肉を食べることをやめてしまったのでしょうか。
さまざまなベジタリアン
「ベジタリアン」という言葉が世に誕生したのは1847年、英国に「ベジタリアン協会」が発足したときだといわれています。ベジタリアンと聞くと野菜(vegetable)が語源かと思いがちですが、ラテン語の「健全な/新鮮な/元気のある」という意味の「Vegetus(ベゲトゥス)」に由来するという説もあります。だから、ベジタリアンは絶対に野菜しか食べないわけではありません。ベジタリアンにもいろいろタイプがあって、野菜の他に乳製品は食べる「ラクト・ベジタリアン」、乳製品と卵は食べる「ラクト・オボ・ベジタリアン」、魚や卵、乳製品は食べる「ペスコ・ベジタリアン」などがあるそうです。その中で、野菜だけしか食べない「ピュア・ベジタリアン」を、一般に「ヴィーガン」と呼んでいるようです。
ヴィーガンという言葉が生まれたのは1944年、英国に「ヴィーガン協会」が発足したときだといわれています。ヴィーガンの人たちは、もちろん肉を食べません。食べるのは野菜や穀物、豆類、果物だけで、乳製品や卵、ハチミツなど、動物由来のものは一切口にしません。そればかりかウールやダウン、革製品など、動物の素材を使ったものも身につけない人がいます。また、たとえ原材料が野菜でも、同じ工場で動物由来の原料を使っている場合は、その製品を買わないという人もいます。なぜヴィーガンは、こんなにも厳密に動物を避けるようになったのでしょう。
肉を食べない理由
ベジタリアンが動物食をやめるようになった理由は、いろいろあるようです。自分や家族の健康や元気のために、アレルギーや病気を防ぐために、あるいは宗教上の理由や自らの信念によって動物食を避け、野菜中心の食生活を送っているようです。ところが、「完全菜食主義者」と呼ばれるヴィーガンの動機は、ちょっと違うところにあります。1960年に「ヴィーガン協会」が、ヴィーガンとは「人間は動物を搾取しないように心がけるべきだという主義」と定義したことからも分かるように、彼らは自らの健康というよりは、むしろ動物愛護的な観点から動物食を避けるようになったのです。だから、ヴィーガンの対象となるのは食べ物だけではありません。動物を使った製品や、動物実験を行っている企業の商品を買わないというヴィーガンもいるのです。
さらに、1990年代に入り、地球温暖化が問題になってくると、食肉用に飼育される動物たちの環境への負荷が取り沙汰されるようになりました。たとえば、牛肉1kgを生産するのに必要な穀物は約11kg。そして、1kgのトウモロコシを生産するのには約1.8トンの水が必要です。つまり、牛肉1kgを生産するには約20トンもの水が必要になります。また飼料となる穀物を育てる畑づくりのために、森林伐採が進むことも懸念されています。このような環境問題を理由に動物食をやめる「エンバイロメンタル・ヴィーガン」と呼ばれる人も増えています。
代替肉の進化
動物愛護や環境問題など、自分の主義主張のためにヴィーガンになった人は、もともと肉が食べられないわけではありません。その中には、かつて"肉好き"だった人も大勢います。そういう人のニーズに応えるためにできたのが、大豆やグルテンから作られる「代替肉」でした。ただ、残念ながら、ひと昔前の代替肉の味は正直いって褒められたものではなく、肉が食べられないので"やむを得ず"といったレベルのものでした。ところが近年、この状況は一変してきました。食品技術の進化により、本物の肉と遜色のない代替肉が出てくるようになってきたのです。アメリカで人気の代替肉を使ったハンバーガーなどは、ネットの動画や記事を見る限りでは、まさに肉そのもの。原料はエンドウ豆やそら豆ということですが、そこにさまざまな風味や食材を加えることで、肉本来のコクやうまみ、食感までも再現しています。
2019年の国連の報告によると、現在77億人いる世界人口は、2050年には100億人近くまで膨れあがると予想されています。今後食肉の需要が高まれば、膨大な土地や穀物、水が必要になり、環境全般にさらなる負荷がかかることでしょう。また、サンマやウナギの不漁が話題になるなど、水産資源の枯渇も深刻な問題です。私たちはいつまで、本物の肉や魚を口にすることができるのでしょうか。
この狭い地球で、みんなが共存していくためには何を食べていけばいいのか。こんなことを真剣に考えなければいけない時期にさしかかっているのかもしれません。