研究テーマ

お茶しませんか

長引くコロナ禍で、気軽にだれかを誘ってお茶を飲みに行くのもままならない昨今。テレワークが続いて、生活にメリハリをつけにくくなったという話もよく耳にします。こんな時だからこそ、一日のどこかで「お茶の時間」をとってみませんか。そして、ほんの少しだけ手をかけて、茶葉から急須で淹れてみる。一杯のお茶を自分の手で淹れ、ゆっくり味わう時間は、頭や体を休めるだけでなく、生活のリズムを整えることにもつながり、体も心も潤してくれるでしょう。

お茶は、葉っぱから

ここで取り上げる「お茶」は、茶席で改まって飲む「お抹茶」ではなく、私たちが暮らしの中で日常的に飲んでいるふだんのお茶、いわゆる緑茶(煎茶やほうじ茶、番茶など)です。お茶といえばペットボトルの中に入った液体を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、その素となる主役は「茶葉」。一枚一枚の茶葉には、茶畑の気候風土や育てた人の思い、その年の天候など、すべてが詰まっています。あるお茶のソムリエによれば、「お茶を淹れるのは、乾いた茶葉に水分を与えて、畑にいたときの自然の状態に戻していく作業」。「おいしく育った茶葉をおいしく淹れることができたら、そこには春の新茶を摘みとる直前の畑の香りがする」と言います。そこまで感じ取ることはできなくても、実際に茶葉からお茶を淹れてみると、お湯の温度や浸出時間によって味や香りが変わることに、一煎目・二煎目・三煎目で異なる味わいが楽しめることに、驚かされるでしょう。

お茶の樹は、みんな同じ

ところで、紅茶や烏龍茶、緑茶とさまざまにあるお茶は、みんな同じ樹の葉っぱから作られていることを、ご存じでしたか? 出来上がりはまったく異なりますが、素はいずれも同じツバキ科ツバキ属の植物「チャの樹」の葉っぱ。チャの樹の葉っぱには、フェノールオキシダーゼという酵素があり、その働きで、葉を摘んだ瞬間からカテキンの酸化が始まります。これがいわゆる「お茶の発酵」で、酸化する前に加熱して発酵酵素の働きを止めたのが、不発酵茶である緑茶。半発酵の状態で止めたのが烏龍茶、完全に発酵させたものが紅茶というわけです。
ちなみに、紅茶や烏龍茶と区別するために緑茶のことを「日本茶」と呼ぶことがありますが、「日本茶」はお茶の種類を表す言葉ではありません。日本茶とは「日本で生産されたお茶」のことで、紅茶でも烏龍茶でも、日本で作られたものは日本茶なのです。

お茶は、人と人をつなぐ

「ちょっとお茶にしようか」「お茶しませんか?」「お茶しない?」…日常生活の中で、私たちは気軽に「お茶」という言葉を使っています。この場合は、お茶だけでなく、コーヒーも紅茶もジュースも、お菓子を食べることまでひっくるめての「お茶」。「ちょっとひと休みしよう」という意味になったり、「ゆっくりお喋りしよう」という意味になったり、時には出逢ったばかりの人へのアプローチになったり……その意味は、相手との関係性や場によって変わってきますが、共通しているのは、お茶を飲みながら語り合い、ゆったりした時間を過ごすこと。誰かとお茶を飲むことは、人間関係をつくりだす行為と言えるかもしれません。
ちなみに、江戸時代初期の農民統制令である『慶安の御触書(おふれがき)』に「大茶をのみ物まいり遊山すきする女房を離別すべし」とあるのは、文字通りのお茶のこと。人が集まって茶飲みをすることで、噂話をしたり、不平不満話が昂じて騒動のもとになったりするのを、時の為政者が恐れたのだろう、と解説する人もいます。人と人をつなぐお茶の性格を言い当てた話ですね。

無茶苦茶な話

私たちの周りには「お茶」の付く言葉がたくさんあります。例えば、「無茶苦茶」。筋道が立たないという意味で使う言葉ですが、それがなぜ「無茶苦茶」なのか? 由来を調べてみると、「無茶」は来訪者に対してお茶も出さないこと、「苦茶」は苦いお茶を出すこととありました。お茶の研究家として知られる中村羊一郎さんによれば、「だれかが自分の領分に入ってきた時、お茶を出すか出さないかが、その領分に入ることを正式に認めたかどうかを示す目印になる」のだとか。つまり、どこかのお宅を訪問した時、家の中に招き入れてお茶の一杯も出してもらえたら、まずは快く迎え入れられたことになるというわけです。人間関係において一杯のお茶がもつ深い意味を表していますが、それは「その家で淹れたお茶」を前提とした話。ペットボトル入りのお茶の場合、この限りではないかもしれません。

ちょっと一服しませんか?

目まぐるしい日常の中、毎回毎回、自分で茶葉から淹れたお茶を楽しめる人ばかりではないでしょう。かと言って、ペットボトル入りのお茶一本槍(いっぽんやり)というのも、なんだか味気ない。そこで、お茶のソムリエが提案するのは、「水のようにごくごく飲むお茶と、楽しむために飲むお茶を分けて」考えようということ。喉の渇きを癒すためだけに飲むお茶なら、すぐに飲めるペットボトル入りのお茶はたしかに便利です。けれど、一日に一回くらい、自分のために、あるいは大切な人のために、自分の手でお茶を淹れて楽しむ時間があってもいい。適温になるまでお湯を冷ます時間や茶葉がゆっくり開いていくのを待つ時間を、ムダととらえるのか、それとも心身の休息時間ととらえるかで、日々の暮らしの豊かさは違ってくるのではないでしょうか。

撮影:黒坂明美

*参考図書:
『僕は日本茶のソムリエ』高宇政光(筑摩書房)
『番茶と日本人』中村羊一郎(吉川弘文館)

2021年9月30日発行の小冊子『くらし中心 no.21 お茶を、淹れよう。』では、お茶のおいしさを再発見すると同時に、自然や地域社会とのつながりも含めてさまざまな角度から「お茶」を見直してみました。
小冊子『くらし中心 no.21』は、MUJI passport メンバーを対象に店頭で冊子クーポン(9月30日よりクーポン配布、各店小冊子なくなり次第終了)を見せるとプレゼントのほか、「くらしの良品研究所」のサイト小冊子「くらし中心」からPDFデータをダウンロードできますので、ぜひご覧ください。

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