未来へ、種をつなぐ
昨年12月、無印良品 銀座のATELIER MUJI GINZAで、小さなイベントが催されました。短編ドキュメンタリー映画の上映会と、生産者を招いてのトーク、そして大根の試食会。『沼山からの贈りもの』と題されたその映画は、消滅したと思われていた大根を復活させた男たちの取り組みを、若いクリエーターが半年追いかけて映像化したものです。それは、近代化で変化し続ける「農」の在り方や「食」の在り方を考える機会であり、現代社会に生きる私たちの価値観への問いかけでもありました。
一度は途絶えた幻の大根
映画の主役は、「沼山大根」。初めて名前を聞く方も多いでしょうが、秋田県横手市沼山地区で何百年も育てられてきた固定種(在来種)の大根です。寒冷地の気候に適応して硬く、長く、たくましく進化したそれは、普通の大根と比べて密度が2倍で歯ごたえがあり、濃厚な風味が特長。秋田の伝統食「いぶりがっこ」に最適の大根とされてきましたが、地区の人口減少や生産者の高齢化により、2004年の冬以来、栽培は途絶えていました。
しかしその13年後、秋田県内の3軒の農家が沼山大根の目を覚まそうと動き出します。その立役者となった田口康平さんも、実は沼山大根の存在を知りませんでした。「秋田にはうめえ大根があるよ」と教えてくれたのは、岩手県で固定種野菜の自家採種に取り組む農家の人。そのとき別の大根を育てていた田口さんは、「もっと自分の足元にあるものを探してみるべきだ」と気づき、沼山大根のことを知りたくて、友人の菊池晃生さん、遠山桂太郎さんを誘って秋田県の農業試験場を訪れます。
種をつなぐ、ということ
そこでは、消滅したと思われていた沼山大根の種が、研究員の椿信一さんの手で残されていました。種は一回採ったものを冷蔵庫に入れておけば保存できる、というものではありません。毎年、土に植えて育てて、また新しい種を採る。その更新を繰り返していくことが種の保存であり、椿さんの自主努力でなんとか守られていたのです。
伝統野菜に向き合う時、「この野菜を100年前、200年前の人たちは、どういう思いで作ってきたのだろう」と想像しながら、「その野菜を作ってきた"人"と時空を超えて対話している」と言う椿さん。モノのように風化したり色あせたりすることなく、生まれた瞬間から「昔の人が作っていた新鮮な野菜そのものが再現される」伝統野菜の魅力を、淡々と語ります。「だから、自分も作って、次の人へ思いをつないでいく。これは文化なのです」とも。その椿さんから「今はやる人がいなくて、ここに眠っている種だ」と聞かされた時、3人は「どうにかして沼山大根の目を覚ましてあげたい」と思ったのでした。
手塩にかけて
農業試験場から譲り受けた種を最初に蒔いたのは、今から4年前の夏でした。35℃くらいある暑い日で、土はさらさらに乾き長靴も手も熱かったこと。3粒ずつ手に取って、丁寧に、すべて手で蒔いたこと。その時の様子を、田口さんは昨日のことのように鮮明に憶えています。初めて芽を出した時のこと、生長していく様、収穫の時、そして種採りの時──そのひとつひとつに感動があったと言います。「子どもが初めて見たものにワクワクするそんな感覚に、大人としての重さが加わった感じ」と田口さん。種をつなぐということは、命をつなぐという責任を伴うことなのです。
こうして復活した沼山大根は、昨秋は10,000本を収穫するまでに。とはいえ、固定種の野菜はF1種のように効率よく栽培できるものではありません。ましてや途絶えていた沼山大根を実際に育ててみると、採算を重視する社会の流れの中でこうした野菜がなくなっていくのだと実感するそうです。「不安はありますが、好きでやっているので苦労はありません。うまい大根が待っていると思うと楽しい」と語る田口さん。その言葉に、「農」の本質を見るような気がします。
「農」と「食」
沼山大根の復活に取り組んでいる3人は、田口さんをはじめ固定種しか栽培していない農家です。なぜなら、「固定種は一番自然な形で育てられる種」だから。「もともとその土地に適合して育ったものだから土の栄養を取り込むのが上手。栄養をあげなくても育つし、農薬をかけなくても虫が付きにくい」と言います。そして、「農家の役目は、種を採り、毎年更新していくこと」とも。そんな考えを持つ人たちだからこそ、沼山大根の復活にもチャレンジできたのでしょう。その根底には、効率よく野菜を育てて収穫し換金することが大事とされる今の「農」への疑問があるようです。
「いまの食の世界は市場原理におおわれていて、一年中なんでもあり、どこへ行っても同じものがある。そういう食の世界は不自然」「まず、大消費地である都市が消費したい野菜があり、我々農産地も、売り先をそこに依存していくことで作るものが変わってきた。都市に支配される農業になっているのではないか」という言葉は、消費者である私たちの姿勢も含めて現代の「食」に対する問いかけと言えるかもしれません。
「伝統を継承する重みに負けず、土の上に立ち続け、沼山大根という伝統を次につなげたい」──上映会で田口さんが語った言葉です。この取り組みを通して田口さんがたどり着いたのは、「自分はあくまで途中の人」という思い。そして、いつも考えているのは「沼山大根の力を借りて、何ができるか」ということ。実際、沼山大根のドキュメンタリー映画を作った大学生が秋田に根を下ろして起業することにもつながっていき、沼山大根の復活は着実に地域を変えつつあるようです。「都会に売るための大根ではなく、秋田の人が"秋田の大根はこれ"と言う大根に育てていきたい」という言葉の意味は、まさにこういうことなのでしょう。
*固定種とF1種との違いについては、以前の当コラム『種を考える』で詳しくご紹介しています。ご覧ください。
*関連サイト:Outcrop Studios