研究テーマ

菜園のある暮らし

アメリカのデンバー市の一角に、総戸数240戸のビレッジホームズという小さな美しい町があります。ひとつひとつの家は、アメリカにしてはそんなに大きくないのですが、共同で大きな芝生の広場や菜園があり、各戸でも家庭菜園ができるようになっています。驚くことに、共同のぶどう棚で採れたぶどうからは、ワインまでつくられているとか。自分の庭で野菜をつくれば自給生活も可能で、現に、年間の野菜自給率100%という人もいるそうです。

菜園が美しい景観をつくる

日本には「百姓百作」という言葉があります。そのくらい、昔のお百姓さんは何でもつくっていたのだとか。いきなり百の作物は無理にしても、自分の家で食べる量だけを少しずつ植えれば、家庭菜園でも(家庭菜園だからこそ)結構な種類ができるものです。多種多様なものを栽培することで、季節ごとの緑や花を楽しめますし、それがそのまま美しい景観をつくることにもなります。
ハーブ類などはキッチンのすぐ目の前に植えて、食卓やリビングからそれを眺めながら生活できたら、とても贅沢な暮らし。そこには、自分で育てて最後は食べるという、人間にとって最も基本的な営みがあります。自分の家の分だけなら、毎日少しの時間の手入れでも十分育ってくれるはず。菜園が、美しい景観と旬の食べ物というふたつの贅沢を、同時にもたらしてくれるでしょう。

菜園から始まるコミュニケーション

最初にご紹介したアメリカの町では、お互いの建物の境界線に塀はありません。そのせいもあって、庭での家庭菜園が別の効用ももたらしています。隣のうちとの間で、自然に楽しい会話が弾むのです。よく実った野菜は、毎日の仕事の積み重ね。お隣同士、野菜の出来をほめあったり、できたものを交換したり、ときにはちょっとお手伝いをしてもらったり。そこから生まれる近隣との助け合いの気持ちや会話は、現代の暮らしの中で忘れられてしまった仕組みといえそうです。お互いを思いやる心も、自然に育つことでしょう。
ときには面倒に感じる近隣付き合いも、こうした畑仕事を通してなら、共通の話題や目的があるので話も弾みそうです。たまには、できたものを使ってのホームパーティなども楽しいかもしれません。自分が手入れする菜園の景観が、お隣や向かいの人のためでもあると考えたら、とても豊かな気持ちになれそうですね。

自然の仕組みを肌で感じる

仕事で外に出れば、なにかしらストレスはたまるもの。そんな仕事のことはちょっと忘れて、土をいじってみるのもいいものです。芽を出し、葉を出し、花を咲かせ、実を結ぶ──ただ黙々と、決めた時を正確に刻む植物を見ていると、自然の仕組みに敬意を払いたくなります。花粉を運ぶ虫たちや土を耕してくれるミミズ、そして微生物たちも、すべてが調和していて、何ひとつとして無駄はありません。ひとつの命がまた次の命へとつながる循環の仕組みは、自然の摂理そのものです。
そんなことを感じる時間を持つことで、日々の景色が、暮らしが、きっと変わるでしょう。なにも言わない、ただ存在している、という植物は、私たちに多くのことを教えてくれそうです。

どんな暮らしをしたいか

どんな暮らしをしたいかということは、どのような環境で暮らすか、ということでもあります。家の中の暮らしは、外の空間とひとつにつながっています。そして外部の空間は、近隣へともつながっていきます。そうした近隣との関係を抜きにして、「暮らしの質」を上げることはできません。人間は、たった一人で砂漠に住むことはできないのです。菜園を持つことで、仕事から離れて自分の暮らすコミュニティーに関わる。その時間は、本来の自分の価値を確認できる大切な時間とも言えそうです。

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生活雑貨

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