デザインの可能性
世界のGDPの約9割は、世界人口の約1割の高所得国で占めています。今までデザインという概念が必要だったのは、この1割の人たちのため。残りの9割の人たちはそれどころではなく、生きることに精一杯だといいます。
日々の食べものや住むところさえままならず、医師や医療設備なども十分にないまま命を落としていく人々もたくさんいます。教育施設もなく、教師もいない地域もたくさんあります。こうした地域で災害がおきれば、ひとたまりもありません。復旧には多くの時間と費用がかかりますし、復旧したとしても、先進国の暮らしに追いつくのはたやすいことではありません。そこには、豊かな国に暮らす私たちにはとても想像がつかないような現実があるのです。
5月に東京六本木で行われた「世界を変えるデザイン展」では、先進諸国のテクノロジーのみならず、デザインが発展途上国の暮らしを豊かにできるのではないか、という試みが紹介されていました。
そこで紹介されていたもののひとつに、大きなタイヤ型をしたプラスチックのチューブ(画像左下)があります。テクノロジーの視点ではなく、クリエーターの視点でデザインされた工業製品で、チューブの中に水を入れてロープで引くというもの。それまで何往復もしながらバケツで水を運んでいた現地の人々の負担を軽減できるものです。
そのほか、足で漕いで水を汲むポンプ、太陽光を利用した調理器具(画像右下)、細い枯れ枝でも熱を逃がさず効率的に調理できる器具、汚れた水をきれいにする道具などなど。生活に必要な道具や医療器具なども並んでいました。
また、先進国の技術でつくった安価なパーソナルコンピュータを、現地の日常生活に役立てようというものも。逆に、現地の廃材などを利用してサンダルやバッグなどをつくり、先進国へ輸出できる産業を生み出そうという試みもされていました。そしてそのいずれもが、たとえ安価であってもきちんとデザインされ、世界に出しても引けを取らないだけのものになっています。そんなデザインは、使って便利なだけでなく、使う人の自尊心を充たし、精神的な豊かさをももたらすでしょう。産業を生み出すことにもつながります。
展覧会では、そうしたデザインの可能性が大きな共感を呼びました。
考えてみると、デザインとは産業革命以降、企業が新しいものをつくり出し、その付加価値を上げるために生まれた仕組みといえるかもしれません。常に新しいものにチャレンジし、他社と差別化せざるを得ない企業の競争論理の上に成り立ってきたともいえます。でもこの展覧会では、デザインは暮らしを豊かにするもの、そしてさらには、そのことが経済の自立を促すことになるかもしれない、という可能性を見せてくれました。
無印良品は、日本の高度成長の中で、新しさを追いかけるのではなく、普遍的な、そして日常の暮らしを豊かにするものを考え続けてきました。そのことをもう一度見つめ直して、今度は世界の暮らしを豊かにすることに目を向けていく必要があると考えています。それは、社会全体に役立つデザインと言ってもよいでしょう。
今、社会を支えてきた経済の枠組みは大きく変わろうとしています。これからの発展途上国とのかかわりについて、みなさんはどのようにお考えですか。