裏の話
裏切る、裏工作、裏金......「裏」のつく言葉には、どこかマイナスのイメージが付きまといます。その一方で、裏方、裏付け、裏打ち、裏合せなど、良い意味で使われる言葉も。「裏」とは、「表面と反対の、隠れている方(にあるもの)」(広辞苑)。人目につかないところで、心や体をどう働かせるかによって、裏のイメージは、プラスにもマイナスにもなるようです。
今回は、日本人の美意識にもつながる「裏」について、考えてみましょう。
「江戸の粋」は裏に凝る
裏といえばまず思い出されるのが、江戸っ子の羽織に使われた裏地です。江戸時代には、贅沢を禁止する「奢侈禁止令」が何度も出され、身分によって着るものが厳しく制限されました。そこで、武士以上の経済力を持つようになっていた富裕な町人たちが奢侈禁止令に対抗してやったのは、羽織の裏地に凝ること。表地はお上のお触れに従って地味を装いながら、隠れた裏地に凝って贅を尽くしたといいます。裏だからこそ表現できる自由で、お上の「裏をかき」、江戸っ子の意地を通したのです。裏のおしゃれは江戸っ子好みの「粋」であり、ちらりと垣間見えるそれを見逃さず気づくことのできる人が「通」。逆に、それをひけらかすのは「野暮」と笑われたのだとか。隠れたところ、小さなところに心を尽くす、日本人特有の美的感覚と言えましょう。
「裏」で遊ぶ
表のように制約のない裏は、遊び心を表現する場でもありました。音楽を聴くのにレコードが主流だった時代、レコードにはA面(表面)とB面(裏面)があったのを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。通常、A面に入れるのはヒットさせたい曲で、綿密な計画のもとにつくられます。一方、B面は「おまけ」のようなもので、アーティストたちが楽しみながら自由につくった曲が多いのだとか。そして皮肉なことに、B面の方がヒットしてミリオンセラーとなることも多かったのです。「ヒットさせなければ」という制約や計算から解き放たれて、「つくること」を純粋に楽しんだ結果、聴く人の心を打ち、共感を得られたのかもしれませんね。
「裏」が支えるもの
表舞台に立つ人を裏で支えるのは、裏方。下駄や雪駄などの裏面に打ち付けて表の板を支える鉄の板は、裏鉄(うらがね)。裏面に紙や布などをはって丈夫にするのは「裏打ち」。よくできたものは、ていねいな「裏の仕事」によって支えられています。日本料理を例にとると、目には見えないけれど仕上げの味を決めるだし汁や、口当たりをなめらかにするための裏ごし、煮くずれを防ぐための面取りなども、立派な「裏の仕事」と言ってよいでしょう。
職人さんは、他の人の仕事を値踏みするとき、必ずと言っていいほど裏を返してじっくり観察します。表を上手に取り繕っていても、人目につかない裏に対してどんな仕事をしているかで、つくった人の技量や仕事への姿勢が見えるからです。裏まで行き届いた仕事をして、はじめて、一人前の職人とみなされるのです。
「裏」を見つける
一見、見逃してしまいがちなところに気を配る──そんな感覚を、「見せるおしゃれではなく、見つかるおしゃれ」と表現した人もありました。「見つかるおしゃれ」は、江戸時代の「通」のように、見つける人がいてこそ成り立つもの。さて、私たち現代人は、「裏」を見つけるだけの眼力を持っているでしょうか? 表だけそれらしく取り繕ったものに囲まれて、「裏」を見る楽しさを置き去りにしてはいないでしょうか?
「裏」を見る眼力は、見る訓練をして身に付くというものでもなさそうです。それは、暮らしのさまざまな場面で人目につかない「裏」を大切にすることによって、身に付いていくものかもしれません。そして、私たちが、ていねいな仕事を見分ける眼力、ものの背景を見分ける眼力を持てたとき、日本人の美意識にもとづいた「いいもの」が生まれ、生きつづけていけるような気がします。
みなさんにとって、たとえ人が見ていなくても大切にしたいと思える「裏」はなんですか?
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