高温多湿の中で ―あかりの話―
20世紀に始まった電気や石油による近代化は、エネルギーの量が、あたかもその国の豊かさや発展の証であるかのような錯覚を生んできました。そんな中で起こったのが、今回の大震災です。社会インフラの崩壊や原発事故による電力不足から発した計画停電は、私たちの暮らしそのものを見直す出来事だったように思います。
結果節電のスタイル
経済成長とともに、「何もない」状態から「少しある」、「たくさんある」と進み、そして「欲しいものを探す」へ。そんな消費過程を通ってきた現代の私たちは、「ものが豊富にあること」や「たくさん所有すること」が豊かな生活だと思い込み、「これで良い」という基準を持たないままに、ここまで来てしまったような気がします。「節電」と言われると、動揺したり緊張したりしてしまう原因は、そんなところにもありそうです。
電力不足だから節電するのではなく、視点を変えた生活をした結果、電気がそれほど必要ではなくなった──そんな生活があるように思います。それは、暮らしの中で何に価値を置くか、ということにもかかわってくるでしょう。かつての日本には「足るを知る」という考え方がありました。もう一度自分なりに確認し、自分流の生活スタイルをつくってみるのも、新しい豊かさかもしれません。
日本の照明は明るすぎる?
ふだんの暮らしの中では、明るさを数値に置き換えて考えることはあまりありません。「明るい・薄明るい・暗い」は、比較の中で表現される言葉。満月の光の下では影ができますし、月の照る夜を明るいと感じた経験のある方も多いでしょう。
明るさを表す基準に照度(ルクス)がありますが、このルクスで表せば、満月の照度はわずか0.2ルクス。一般家庭の団らん時の照度は200ルクス程度だと言いますから、その1000分の1の月光を、私たちは「明るい」と感じていることになります。
眼と照明の関係
暗いところで本を読むと眼を悪くすると言われますが、実は、明るすぎる光も眼を悪くすると言います。「疲れ目」や「視力の低下」、そこから生じる「ストレス」は、周囲の明るさにも原因があるのだとか。眼に良い明るさは、作業の内容や年齢によっても異なりますが、普通の作業で150ルクス以上、細かな作業では300ルクス程度。一般的には200ルクス程度が快適とされ、300ルクスより明るいと、かえって目が疲れやすくなるそうです。明るい方が気持ちいい、と感じるのは、単にその明るさに慣れているからかもしれません。
節電照明は豊かな照明
「明るすぎるのは暗いのと同じ」という言葉があります。光と陰は、コインの表と裏のようなもの。陰(暗さ)があることによって、光(明るさ)が認識され、より浮き立ってきます。谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」の中でも書いているように、かつての日本人は薄明かりを美しいと思う感性を持ち合わせていました。
「もったいないから」という思いでこまめにスイッチを消すのももちろん大事ですが、もう一歩進んで、月明かりや星明りを楽しむような感覚で陰影を楽しんでみてはいかがでしょう。
「適度な暗がり」があると、室内に今までとは違う印象が生まれてくるはずです。インテリアや壁の色、カトラリーやお皿が、思いがけない表情を見せてくれるかもしれません。キャンドルのあかりは、女性をいっそう美しく見せてくれます。親しい友人とのホームパーティや家族の団らんで、ゆらゆら揺れる光の美しさを楽しんでみてはいかがでしょう。場所にあった光を生活に取り入れることで、それまでは気づかなかったものが見えてくるかもしれません。
みなさんは「節電」の中で、照明をどう工夫していらっしゃいますか?
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