半自給のくらし ―自分でつくる―
農作物を育てている人の話を、あちこちで耳にするようになりました。「自給自足」とまではいかなくても、1坪程度の市民農園を借りて野菜づくりに励む人。庭やベランダや屋上を家庭菜園にする人。体験型の貸農園で、野菜作りのノウハウを学ぶ人。田んぼのオーナー会員になって、仲間と一緒に米づくりを楽しむ人も増えています。比較的自由に仕事ができるフリーランサーの人の中には、もう少し本格的に、郊外や田舎で少しまとまった面積の畑や水田で食料をつくる人もあるようです。
循環型社会をめざして
自分で食べるものを、自分の手をかけて自分でつくる。こうした新しい動きは、「豊かさ」の意味が変わりつつある時代の価値観と無関係ではなさそうです。経済の成長を豊かさの指標とするのではなく、「暮らしそのもの」に軸を置いて安定して暮らす。そんな循環型の社会をめざしたものと言えるでしょう。
循環型社会における視点は、「食料の自給」「エネルギーの自給」そして「地域内経済の循環」です。これらを支えるためには、自分をどのコミュニティーの中に置くのか、ということが重要なポイントになってきます。自給は一人ではできません。お互いに助け合って、ものやエネルギーをコミュニティー内で貸し借りして、全体としての過不足を調整することが必要になってきます。お金についても同様で、地域内で流通される地域通貨なども有効な手法のひとつになってくるでしょう。
ものの循環
一方で、暮らしに必要なものも循環させていく必要があります。ものをなるべく捨てないで、循環させたり、リメイクしたりする。お金を使わないということも大事なのですが、もっと大事なことは、ものの生命を無駄にしないということ。単なるゴミにして捨ててしまうのではなく、最大限、自分たちで再利用していくという姿勢です。こうした暮らし方をしていくと、自分に必要なものはできるだけ自分でつくるという動きも、自然に出てくるでしょう。コミュニティー内に得意な人があれば、そうした人が担っていく方法もあるかもしれません。自分で必要なものを自分でつくり、再生させていく。今あるものを極力使っていく。そんな姿勢が必要なのです。
自分の時間をつくる
こうした循環型の社会において、最も必要なことは「自分でつくる」ということです。自分に必要なものは、できる限り自分で、または自分達のコミュニティー内でつくる。そのために必要なものは、「時間」です。現代人の多くは、自分のために使える時間が極端に少なく、その代償として「買う」という行為で時間の不足をまかなう生き方をしています。外食が多くなっているのも、自分で食事をつくる手間がかけられないことのあらわれでしょう。
しかし、自分のために時間をかけていくことで、また自分にできないことはコミュニティー内で補完することで、暮らしに必要なことをコミュニティー内で循環させていくことができるようになるのです。
今までの暮らしは、日本全土や世界全土といった大きなくくりで、経済発展を考えてきました。世界各地の食料を食べて、遠いところからエネルギーが運ばれ、自分たちが貯蓄して預けるお金は、見知らぬ場所で、自分の知らない目的のために使われていく。こうしたグローバルな経済から、多くのことを自分たちの身近に引き寄せ、目に見える範囲で、できる範囲で、循環させていこうとするのが「自給」の意味ではないでしょうか。
もちろん、そうした暮らし方が100%可能なわけではありません。しかしそのうちの少しでも、自給に向かって暮らしを変えていくのが「半自給」という考え方です。そんな暮らし方を、みなさんはどのように思われますか?