半自給のくらし ―秋祭り―
秋は祭りの季節です。春の祭りが豊作を祈念するものなら、秋のそれは収穫を喜び感謝するもの。祭りと聞いてこころ浮き立つのは、私たちの中にある農耕民族としての遠い記憶が呼び起こされるからかもしれません。
神とつながる
祭りは太古の昔、縄文時代からあったようです。古代の日本人は、あらゆるものに神が宿ると信じていて、その神とつながっていくための儀式が祭りでした。
祭りが盛んになるのは、農耕生活が始まり人々が定住するようになってから。狩猟時代より生活が安定していたとはいえ、作物の出来・不出来は自然の力に左右されるものです。その自然をコントロールする偉大な力(=神)を意識し、暮らしの中で自然への敬意を忘れないようにする。それが人々の暮らしの基本であり、祭りの大きな意義だったと言えるでしょう。祭りが季節ごとの行事として定着していったのは、ごく自然なことでした。
神輿は神さまの乗り物
祭りと言えば、だれもが思い起こすのは神輿(みこし)です。神輿とは、神さまが乗る輿(こし=長柄で運ぶ乗り物)の意味。神輿を担ぐのは、神社にいる神さまを外へ連れ出して、家々の間を練り歩く儀式でした。
ふだんは神社の中にいる神さまを、この日だけは人々のもとへ運んでいく。村の人々の暮らしの中に、神を連れ出していくのです。それは、無病息災や豊作を願って神とつながっていくことだったのでしょう。神輿を荒々しく揺さぶるのは、神の権威を見せるためとも、また、神の霊を揺り動かして活性化させる「魂振り」の意味があるとも言われます。
「まつり」は「まつ」こと
一方、祭りには「芸能」が付きものです。神の力を借りたい時、神に出てきてもらうために、笛を吹き囃したてて「さあ、来てください」と神を待つ。天の岩屋にこもった天照大神に出てきてもらうために、祝詞(のりと)を唱え舞いを舞ったという日本神話がまさにそれで、芸能の発祥はそんなところにあったのかもしれません。「まつる」とは、もともと神の来訪を「まつ」行為をあらわす言葉で、その名詞形が「まつり」だとも言われています。
神とのつながりを求めて神を待つことから始まった祭りは、いつの頃からか、芸能を含めて「ハレ=非日常」の空間と時間を象徴するものへと変化していきます。娯楽が少ない時代、祭りは、日常の辛い労働から解放される数少ない楽しみだったことでしょう。そしてそれが、人と人のつながりをつくるコミュニティーの一体化を図る上でも重要な行事になっていったことも忘れてはなりません。
自然や人とつながる
今月のテーマは「半自給の暮らし」です。せっかく育てた作物が台風や豪雨のために一夜でだめになってしまったり、雨不足で土が干からびてしまったり......自分で何かを育てるようになると、自然の大きな力に対して人間の無力さを感じることがあります。その一方で、四季があり自然の恵みで作物が育つことに対して、感謝の気持ちも湧きあがってくることでしょう。
日々の暮らしの中では忘れがちな自然の力。どうしようもなく大きなその力に、どうつながっていくのか──祭りの中には、そうした神や自然とのつながりをあらためて感じることができる仕組みがありそうです。そしてその祭りを地域の人々が力を合わせて行っていくことが、共同体としての絆を深めていくことにもなるのでしょう。
みなさんの地域には、どんなお祭りがあり、どんな楽しみ方をなさっていますか? 習わしや言い伝も含めて、地域のお祭りのことを教えてください。