贈るこころ
プレゼントとは「贈りもの」のことですが、「表現する」という動詞でもあります。愛情、感謝、お祝い、お見舞い、喜び、励まし・・・相手に届けたいのは、さまざまな気持ち。それを表現する手段は、モノだけとは限りません。被災地を支援するボランティア活動なども、贈るという行為のひとつと言ってよいでしょう。年の暮れは、気持ちを贈り合い、確認し合う季節。みなさんは、どんな気持ちを、どんなカタチで表現しますか?
再起の夢を贈った人々
今年の9月下旬、山梨県富士五湖近くの国道沿いに、パンと洋菓子の小さな工房がオープンしました。3.11の津波で店を失った気仙沼の男性が、友人のツテで借りた元民宿を改装して始めたお店です。
この土地に来るようにと声をかけてくれた友人、建物を貸してくれた人、改装を手伝ってくれた人、パン焼き機を貸してくれた人、パン作りの材料や野菜・味噌などを差し入れしてくれた人・・・多くの人たちから届けられたさまざまなカタチの「贈りもの」が、彼の再起を後押ししました。そのお礼に、「地元産の材料を使い、ここでなければできないものを作りたい」「この村をお菓子で有名な土地にして、地域活性化に役立ちたい」と語る彼。そして「気仙沼で仕事をなくした人たちが働ける"仕事の場"をつくりたい」とも。贈りものを受け取った人が、また次の人に贈りもののバトンを渡していく。贈るこころの循環を感じられる素敵な話です。
贈りものは分かち合い
そもそも、贈りものの起源は神への供え物だと言われます。日本には古代から季節の節目や祝祭で神を祀り、神への供え物をみんなで食べることによって神との結合を強めようという思想がありました。この「神人共食」が、人と人も含めた共食へ拡がり、人々の間で食べものをやりとりする贈答という習慣につながったのだとか。贈りものが「分かち合い」と言われるのも、こんなところから来ているのでしょう。
今では虚礼の代名詞のようにされている「お歳暮」も、その起源は、来たる新年に年神様へ供えるための物品を、年の暮れに本家や家元へ持って行く行事でした。今でも新巻き鮭や数の子などを贈るのは、年神様に供えるお神酒(おみき)の酒肴に由来すると言われています。
こころに残る贈りもの
消費の冷え込みが言われる中、デパートの宝飾売場だけは売上げが伸びているそうです。あの大震災以来、家族や恋人との絆の大切さを再認識した人たちが、妻へ娘へ恋人へ、ちょっと高額なアクセサリーを贈っているのだとか。また、職人さんに特注して、世界でたったひとつしかないマグカップを幼い娘のために作ったという人の話も聞きました。
一方、モノ以外の贈りものもあるでしょう。「贈答歌」という言葉があるように、古代日本人にとっては、言葉を歌にして届けることがそのまま贈りものでした。言葉を贈る、笑顔を贈る、夢を贈る、体験を贈る、時間を贈る・・・モノという枠を超えてみると、贈りものの本質が見えてくるような気もします。
こころを結ぶ
贈るこころを表現するために、日本人は古来、さまざまな工夫をしてきました。贈りものを飾る熨斗(のし)や水引(みずひき)なども、そのひとつ。
水引には結び方のひとつひとつに意味があり、結婚や弔事のように一度きりであってほしい場合には「結び切り」、何度あってもよい慶び事には結んだり解いたりできる「蝶結び」といったように、目的に応じて使い分けられます。
そもそも、「むすぶ」は日本人が古くから大事にしてきた行為で、そのことによって「霊(たま)」を込める印でした。「むすひ=むすび」は「産霊」とも書き、万物を生み出す霊力のこと。かつては贈りものを包む紐や水引を結ぶ時にできる結び目のことを「鬼の目」と呼んだそうですが、それも、鬼のように強い力が結び目に生まれ、相手を祝福すると考えた名残なのでしょう。こころを結ぶための贈りものに、「むすぶ」という行為が深く関わっているのは、当然のことなのかもしれませんね。
みなさんは、この冬の贈りものについて、どんな風に思われますか?
いろいろなことがあり過ぎたこの1年ですが、ともかくも新しい年を迎えられることを祝福し合う。そんな贈りものもあるかもしれませんね。
「くらしの良品研究所」が贈りものについて考えた小冊子「くらし中心no.6~手渡すこころ~」ができました。サイトからダウンロードできます。ぜひ、ご覧ください。
くらし中心 no.06「手渡すこころ」(PDF:10.3MB)