研究テーマ

くらしと床の間

今年のお正月、みなさんのお宅では鏡餅やお正月用の生花をどこに飾られましたか? かつて、お正月飾りの定位置といえば、どこの家でも「床の間」でした。そこに置かれることで、それらはより厳かな輝きを放ち、神々しささえ感じられたものです。生活様式の変化に伴い、今では多くの家から追いやられてしまった床の間。今回は、その意味と価値を、もう一度見直してみましょう。

床の間とは

和室の一隅が一段高くなって、掛軸や置物、生花を飾るところ──床の間に対する現代人の一般的な認識は、こういったところでしょうか。しかし、本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」でした。そこは聖なる空間であり、ハレの場であり、その人の権威をあらわす場でもあったのです。そういえば、時代劇に出てくるお殿さまは一段高い座敷に鎮座して、下々の者と一線を画していますね。
そもそも、トコという日本語は、頑丈でビクともしない、絶対に変わらないもののこと。「とこしえ(永久)」「とこよ(常世)」などと使われるように、「永遠」という意味を持つ言葉です。家を造る際にはユカ板を張り、その上に畳を敷いたり化粧板を張ったりしますが、その中で、絶対に安全で抜けたりはしない一隅が「トコの間」。だからこそ、昔のお殿さまはそこに座り、天子や将軍になると床の間は一段と高くさらに豪華に造られました。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続くことの象徴が「床の間」であり、「ゆか」の一部に「とこ」を置くことで、建物全体を統率する秩序を与えたのです。

床の間の意義

現代の床の間は一畳程度ですから、人が座るための空間ではありません。そこは空白の場であり、実用面だけから考えると「もったいない」スペースということになります。そんなところから、現代の住宅では床の間が消えつつあるのでしょう。しかし、今でも一戸建ての多くの家には床の間があり、トコ柱に銘木を使ったりトコ板やトコ天井に特別の材木を使ったりします。それは、家の中の最上の席を聖なる空間とし、そこを一家の精神の拠り所として生活していた時代の心を映したものと言ってよいでしょう。
また、「空」なるものが神の依代(よりしろ=神霊が招き寄せられて乗り移るもの)になるという古代からの感覚で言えば、床の間が空白であることこそ大切なのかもしれません。「住まいの中に神社の社(やしろ=神の降下するところ)のように聖なる場所を造ることで、その霊威を取り込もうとしたのが床の間」と解説する人もあります。
雑多なものがあふれがちな家の中で、床の間だけは余白のある空間。その余白に、清浄な空気が流れていくような気もします。美しく整えられた床の間に、神棚にも似た雰囲気があるのは、きっとそんな理由からなのでしょう。

茶室の床の間

千利休とその弟子たちは、わびさびの「草庵」を追求して、「壁床(かべどこ)」という壁だけの床の間に行き着きました。床柱(とこばしら)も床框(とこがまち)もなく、壁面に掛軸用の釘を打っただけのそれは、豪華なものを飾る場ではなく、簡素なもので心を洗い浄めるための空間。聚楽壁(聚楽第付近から採れる土で仕上げた壁)に掛かる一幅の掛軸や一輪挿しの花に、茶人たちの美意識が映しだされたことでしょう。

現代のくらしの中で

昔に比べて住空間が狭くなっている現代。「床の間なんて無駄なスペースだ」という考え方もありますが、狭い家の中にこそ、たとえ小さくても床の間のような聖なる空間、家の中心となる空間が必要な気もします。そして、その空間を意識し、そこを清め、季節の花などを飾ったりすることで、人は自然とつながり、日々のくらしに小さな幸せを見出していくこともできるでしょう。
限られた居住スペースしか持てない私たちですが、その気になれば、現代のくらしの中にも床の間的な空間をつくることはできるかもしれません。「壁床」という美しいお手本もあるのですから。

みなさんは、床の間についてどう思われますか?
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