成熟という未来
あらゆるものが限界に達し、これからは低成長または縮退する経済へ向かっていくと言われています。しかし、「成長」「低成長」という座標軸だけでは、私たちの未来は夢のないものになってしまいます。マイナスをプラスに変えるには、思考の枠組みを変える他の指標が必要になってくるでしょう。
この10年間の環境意識の高まりは、日本においても大きな意識変革を促しました。化石燃料が有限であることも、私たちの意識の中に刻まれています。企業は低エネルギーへ向けた商品の開発に余念がありません。しかし、エコ商品への買い替えが進みながらも、結局のところゴミの量は減らない、社会全体で見るとCO2の削減には寄与していない、というのが日本の大きな課題でもあります。もっと大きな枠組みが、社会全体の指標として必要なのです。そして、それは夢のある目標でなければなりません。
その目標を「成熟社会」と呼んでみては、どうでしょう。
成熟社会では、「ものそのもの」よりも、持ち方、暮らし方といった「ものの背景」が大切になります。ものの持ち方は、生き方とも言えます。
新しいものより、時を積み重ねたもの。若さよりも、大人の思慮。消費することよりも、多くを持たず、そこにあるものをうまく活用する知恵。こういったものを「豊かさ」と感じる価値観が、いま、生まれつつあるのではないでしょうか。
そしてそれを支えるのは、暮らしの美意識です。私たちの中にある、日本文化に根ざした美意識です。日本の文化を様式としてとらえるのでなく、その根底にある「意識」に目を向けてみる。もののカタチにこだわるのでなく、その背景にこだわっていくのです。
日本では、茶碗を見る時にその中を覗きます。その中の空間を「見込み」と呼び、見込みが深いもの、奥行きを感じられるものが、よい器だとされています。「見込み」の奥に絵柄が書いてあるのも、その奥行きを感じるための手法のひとつ。輪郭の美しさだけでなく、手に持った時の感触や眺めて感じる空間の深さなどが、茶碗ひとつにも込められているのです。それは、「味わい」と言ってもよいでしょう。使う、見るといった日常的な行為を一歩進めて、触ったり眺めたりしながら「感じる」ということかもしれません。
成熟とは、そうしたものの背景やものによって生まれる空間にこだわり、目に見えないものを感じていくこと。年を重ねてこそわかる、ゆとりなのかもしれません。そうしたものの見方は、新しい「知の発見」とも言えます。茶碗ひとつ眺めても、そこに新しい発見があるような暮らし方。単に「知っている」「持っている」という世界から、体全体で感じて味わうというような暮らしが訪れるのではないでしょか。そう考えると、私たちの未来は限りなく豊かなものに思えます。
みなさんはこれからの暮らしを、どのように考えていらっしゃいますか。
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