研究テーマ

冬の花

立春が過ぎたとはいえ、まだ余寒の厳しいこの時期。爛熳の春は遠いものの、周囲を見渡すといろいろな「花」があることに気づきます。「六花(りっか)」「天花(てんげ)」といえば、雪の別名。晴天のときに風にのって舞う雪は「風花(かざはな)」。霜の別名は「三つの花」で、窓ガラスに模様のようにはる霜は「霜花」とも。長野県では、樹氷や樹霜を「木花(きばな)」と呼ぶそうです。先人たちは、寒い季節の中にも「花」を見出だしながら、やがて訪れる春を心待ちにしたのでしょう。

花に見立てる

──冬ながら 空より花の散りくるは 雲のあなたは 春にやあらむ──
(冬なのに空から花びらが散り落ちてくるのは、雲のかなたはもう春だというのだろうか──「古今集」)
冬空から舞い降りてくる雪を花びらに見立てて、春を待つ心を歌った清原 深養父(きよはら ふかやぶ)の歌です。暖房器具もほとんどない時代、人々にとって冬は過酷な季節であり、それだけに春を待つ気持ちも切実だったことでしょう。
もともと「ハナ(花)」という言葉は、物の先端や物事のはじまりをいう「ハナ(端)」と同じ語源をもつもの。花は、実りの先触れや前兆といった意味でついた名前といわれます。寒さのただ中であらわれる雪や霜を「花」に見立てることで春の先触れとし、心に春を呼び込んで、厳しい冬を乗り越えてきたのかもしれません。

花をつくる

自然現象を花に見立てるだけでなく、花のない季節には自らの手で花をつくることも行われてきました。
小正月(こしょうがつ=旧暦の正月15日)に、紅白の餅や団子をヌルデ・ミズキ・エノキ・ヤナギなどの枝にさして飾る「餅花」は、その代表的な例。同様の白くやわらかい木の枝を花のように薄く細長く削りかけた「削り花」も、やはり小正月に戸口や神棚、神社、墓地などに飾られます。いずれも稲の花の象徴で、小正月のことを「花正月」と呼ぶのも、そんな理由から。
和ろうそくの絵付けにも、昔の人の花への思いがあらわれています。冬の厳しい越後の絵ろうそくは、信仰心の篤かった上杉 謙信が、花を描いたろうそくを花の代わりに神仏に供えたのが始まりとか。庄内藩が幕府に献上したという絵ろうそくも、蓮華・花模様などを描いたもので、冬に花のない北国・雪国ほど、絵ろうそくの絵柄には華やかな花が多いようです。
私たち現代人は、造花や絵付けをアートという視点でのみとらえがちですが、そもそもは、花のない季節に花を求める素朴な祈りが込められていたのでしょう。

花のある幸せ

「幸いにして・・・」「幸いなことに・・・」というように、私たちは幸福感をあらわす時に「さいわい(幸い)」という言葉を使います。この古語は「さきはひ」で、「咲く」の名詞形の「さき」と、ある状態が長く続くことをあらわす「はひ」とがつながってできた言葉。つまり、「さきはひ」とは「花があふれ咲き満ちているような状態」を意味し、これが、古代日本人の幸福観だったのです。
このことは、農耕民族として生きてきた日本人の永い歴史と無縁ではありません。花は実りの先触れであり、神意の発現と信じられてきました。豊かな実りへの願いを込めて、常に植物に心を寄せながら、開花を待ち、花を見つめてきたのが私たち日本人なのです。そんな日本人が、さまざまなものを花に見立てて、花のない季節にも花を見出だそうとしたのは、ごく自然なことかもしれません。

「心の花」とは、美しい心、風流を解する心、晴れやかな心などを花にたとえていう言葉です。花は人の心を豊かにしてくれるものですが、豊かな心によって、花はより豊かになるとも言えましょう。花のない季節に花を見ようとする心は、目に見えないものを想像する心かもしれません。
東日本大震災後、初めての冬。寒波が居座って日本列島を震わせています。凍てつく被災地を思うとき、どこかに小さな「花」が見つかりますように、と祈らずにはいられません。

みなさんは、この冬、どんな花をご覧になりましたか?

研究テーマ
生活雑貨

このテーマのコラム