音に向き合う
(今週のコラムは、過去にお届けしたコラムをコラムアーカイブとして、再紹介します。)
春が近づいて、北国でも木々の枝先がほんのり色づきはじめてきた頃でしょうか。山で暮らす人の話では、枝先が色づくのとほぼ同時に「風の音がみずみずしくなる」そうです。風そのものに音はありませんが、風が動いて触れるものがあると、そこに音が生まれます。触れるものが変われば、音も変わる。春の訪れる気配を「春の足音」と表現するのも、そんなところから来ているのかもしれませんね。
風がつくる音
風の鳴らす音で、まっ先に思い浮かぶのは風鈴です。現代人の感覚では、風鈴といえば夏の音ですが、もともとは魔除けとして使われていたもの。音を鳴らすことで厄(やく)を祓う(はらう)という考えから、平安時代には貴族の屋敷にも数多く吊るされていたようです。
音色のよさで知られる南部風鈴は、奥州藤原氏が好んだ音といわれます。よくよく耳を澄ましてこの音を聴いていると、ごく稀にですが、ほぼ同時にふたつの音が鳴ることがあります。「枕音(まくらね)」と呼ばれるその音は、何万分の1秒という速さで、風鈴の中の錘(おもり)を風が連打した時に発する音。人間技ではつくり得ない微妙な音です。当時の人々は、この音を茶柱のように縁起の良いこととしてとらえ、大きな決断をする時の手掛かりにしたといいます。
南部風鈴の出す音は5つしかありませんが、その強弱によって、さまざまな旋律を生みだします。日本の音楽も同じ5音階で成り立っているところをみると、日本の歌や音楽は、自然に生まれたこれらの音の影響を色濃く受けているのかもしれません。
聞こえない音を感じる
音が発するとき、そこには人間の耳では聞こえない周波数の音も一緒に出ています。音に敏感な動物たちが、人間には聞こえない音に反応して動くのも、そこに「音が在る」からです。そして、私たちの可聴域を超えたそんな音が、人間の脳を活性化させることが脳波を測定してみてわかったといいます。耳では聞こえなくても、体はそうした周波数を感じているのでしょう。さらに面白いのは、ヘッドホンで聞いたのでは、脳の活性化が見られないということ。音は耳で聞くのでなく、体で感じるともいえそうです。
一方、音の波が消えていく瞬間、つまり、音が「在る」と「ない」の境目で、時間が長く引き延ばされるように感じることもあります。音の消えた後まで残る響き、「余韻」です。その余韻を味わうために必要なものは、静寂。闇があって初めて光の存在がわかるように、音のない世界を意識して音と向き合うことで、より深い音が聞こえてくるのかもしれません。
音でつながる
つけっ放しのテレビの音はほとんど耳に入ってこないように、気持ちがそこになければ、大音量の音もあまり聞こえません。耳にフタをすることはできませんが、人間はどこかで音を選び取っているのでしょう。それだけに、忙しい日常の中では多くの音を聞き流す一方、大切な音を聞き逃していることもあるかもしれません。
雨の音、風にそよぐ木々の音、川のせせらぎ、虫の音、鳥の声などなど。自然界には、聞き逃すにはもったいないような心地よい音がたくさんあります。また一方には、風鈴や鹿威し(ししおどし)、水琴窟(すいきんくつ)など、自然の摂理を生かして先人たちがつくり上げた素晴らしい音響装置もあります。それらの音は、遠い時代から多くの人が聞きつづけてきた懐かしい音。そんな音に向き合うとき、時空を超えて昔の人の心につながることができるかもしれません。
「耳を澄ます」とは、心を澄まして、対象物に向き合うこと。
音と向き合うことで、忘れていた何かを取り戻すことができるかもしれません。
みなさんは、どんな音と向き合うとき、心穏やかになれますか?