研究テーマ

シェアという発想 ─所有から活用へ─

最近、「シェア」という言葉をよく聞くようになりました。カーシェアリングや自転車のシェアリング、シェアハウス、そしてソーシャルネットワークでの情報のシェアなどなど。ものや情報を共有し、分かち合い、最大限に活かすことが、さまざまなかたちで進んでいるようです。そこには、どんな意識の変化が潜んでいるのでしょう。

共有するメリット

住宅の分野では、「シェアハウス」に注目が集まっています。血のつながりのない人たちが一つ屋根の下に住む、という住み方です。普通の家に数人で住むものから、何十人もの人がキッチンやお風呂などを共有して住むようなものまで、その規模はさまざま。大きなシェアハウスでは、キッチンだけでなく、ダイニング、リビング、シアタールーム、ブックカフェなども備えて快適な暮らしを実現させています。あらゆる調理道具がそろったプロ用のキッチンを完備しているところもあるとか。一人では持てないものも、「共有」というかたちをとることで、手軽に持てるようになるのです。本や雑誌も共有すれば、様々なジャンルのものが幅広く読めますし、読み終わったものを他の人に回すこともできます。大型のマンションなどでは自分たちでそうした仕組みを持っているところもあらわれていますし、街の中でもよく見かけるようになりました。 たしかに、みんなでシェアすれば稼働時間も長くなり、無駄はなくなります。中古品のショップやレンタルなどのサービスも、シェアという考え方の範疇に入るのかもしれません。

所有意識の変化

一人一人で持つよりシェアしたほうが、無駄もなく効率的だということは、誰の目にも明らかです。しかし、合理的、効率的というだけでシェア意識の高まりは語れません。そこには、「所有」に対する意識の変化が感じとれます。
戦後50年、高度成長の時代はあらゆるものが個人所有となっていきました。テレビ、ラジオ、カメラ、ビデオ、オーディオ…時代を経るにつれて、家族単位の所有から、一人一台の所有へと変わっていきます。ものを所有することは豊かさの象徴であり、幸福感の尺度でもありました。
シェアという考え方は、こうした意識とはまったく逆の方向です。所有することに価値を置くのではなく、実際に使えること、それを活かすことに価値を置き、そのためにはあえて「自分で持たない」選択をする。誰もがものを持てることをめざしていた消費社会という時代を経て、「所有」への欲望が薄らいできているのでしょう。さらに言えば、「持たない」ことのほうがカッコいい、という美意識が芽生えているのかもしれません。かつてスーパーカーという速い車に誰もが憧れた時代がありましたが、今は快適にたくさんの人を乗せて動けるような実質的な車に人気があるのも、こうした理由からでしょう。
シェアハウスの実例は30人ぐらいまでの規模が多いのですが、もっと考え方を広げていけば、もう少し大きな単位で、しかも自分の日常の暮らしの範囲で、こうしたシェアが進むかもしれません。自分ではものを持たない、共同で持てばいいものは持たない。本当に必要なものだけ、好きなものだけを持っていく、という考え方です。

かつてガンジーは、「取り合えば足りない、分ければ余る」「我々に公平に与えられた自由は、何も所有しないという欲望」と言いました。
哲学者であり心理学者であるエーリッヒ・フロムは、その著書「生きるということ(原題:To have or To be)の中で、人間や社会の存在様式を「持つ様式」と「在る様式」に分類し、後者への価値観の転換を提言しました。
いかに多くのものを「持つ」かに価値を置き、「何を持っているか」で人が定義される時代は、そろそろ終わりに近づいているのかもしれません。
時代の意識は大きく変わろうとしています。自分でものを所有しないということについて、みなさんはどう思われますか。

研究テーマ
生活雑貨

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