暮らしの中の歌
「かごめかごめ 」「せっせっせ 」子どもの頃、こんな歌を歌いながら遊んだことはありませんか? こうした「遊び歌」の他に、数え歌や絵描き歌というのもありました。子どもたちに歌い継がれてきた童歌(わらべうた)だけではありません。かつて、歌は行事や仕事の場に欠かせないものとして、人々の暮らしに寄り添っていました。
仕事歌
暮らしの中で歌い継がれてきた伝承歌謡の原形は、農作物の無事や成功を神仏に祈願する祝詞(のりと)風のものだったといわれます。それが次第に細分化され、祝い歌・盆歌(盆踊り歌)・子守歌・仕事歌(労働歌)など、それぞれの場にふさわしいかたちに整えられていきました。
労働の場で歌われる「仕事歌」は、作業を効率よく行う目的で歌われるもの。二人以上で仕事をするときは、歌うことで相手と息を合わせられるという利点があったのでしょう。同時に、きつい肉体労働をする中で、少しでも気分を引き立て自分を励ますための智恵だったのかもしれません。酒造りの現場では、歌で時間を計って仕事量を決めていたようですし、歌詞の中に作業工程を織り込んだ歌もあるとか。仕事歌は、タイマーや教科書としての役割も果たしていたようです。
酒屋歌
千葉県のある酒蔵では、今でも蔵人たちが酒屋歌を歌いながらお酒を仕込んでいます。伝統製法にのっとった酒造りでは、酵母の都合に合わせて仕事をするため、夜中での作業もしばしば。最初のうちは眠気醒ましのつもりで歌っていたようですが、歌いながら作業することで、「楽しくお酒を造る」という想いに変わっていったといいます。歌で呼吸を合わせることによって仕事にリズムが生まれ、造り手の心が一つに束ねられて、酒造りの現場に和やかな「和」が生まれていきました。
酒造りは、酵母という小さな命(微生物)を相手にする仕事です。人間の「きついな」という声を聞き続けた微生物が発酵させたお酒と、「楽しいな」という声を聞き続けた微生物が発酵させたお酒では、同じアルコールでも違うはず──そう信じて、この蔵で働く人たちは、自分たちの楽しい想いを歌で微生物に伝えようとしています。
子守歌
まだ年端もいかない少女が子守りとして奉公に出された時代、子守歌には労働歌としての側面もありました。「五木の子守唄」や「竹田の子守唄」などは、子守りの心情を歌ったもの。その歌詞には、幼い子守りたちの辛さや寂しさが込められています。とはいえ、その歌は、背中におぶった「ひとりの赤ちゃん」のために肉声で歌われたもの。CDやテレビから流れてくる不特定多数のための子守歌とは、根本的に違うような気がします。お互いの肌に触れ合いながら歌ったり聞いたりすることで、子守歌は子守歌として成立するもの。どんな名曲・名演奏も、ひとりの赤ちゃんに向かって直接語りかける肉声の子守唄にはかなわないかもしれません。
鼻歌
歌を歌うのはカラオケで──いつの間にか、そんなふうになってしまった私たち。歌うための最先端の装置を手に入れたものの、日常の生活からは歌が遠くなっているような気もします。特に仕事歌が少なくなってきたのは、現代の仕事が自然のリズムや人間の生命リズムとかけ離れたものになってきたせいもあるでしょう。鬱病の増加といった社会現象も、もしかすると、そんなところに一因があるのかもしれません。気持ちよく身体を動かすときに出る「鼻歌」は、軽い仕事歌ともいえそう。せめて、身体を使ってする仕事や家事をするときには、鼻歌でも歌ってみませんか。生の声を発して歌うとき、身体の自然なリズムが目覚めてくるかもしれません。
みなさんは今日、どんな歌を歌いましたか?