研究テーマ

つくろう

たとえば、お気に入りの陶磁器が割れたり欠けたりしたとき、みなさんはどうしていらっしゃいますか? 2012年10月17日のコラムでは「陶磁器のリサイクル」についてご紹介しましたが、ピーンと大きく割れた場合やちょっと欠けたような場合は、リサイクルに出すという踏ん切りもつきにくいもの。そんなとき、昔の人は「つくろう」ことで、ものの命をよみがえらせていました。

「金継ぎ」という方法

photo:oshiaki Ara

陶磁器をつくろう方法に「金継ぎ(きんつぎ)」という伝統的な修理技術があります。割れたり欠けたりしたものを漆で接着し、つないだ部分に蒔絵のように金を装飾していく方法です。今のように簡単で強力な接着剤などなかった時代、大切にしていたものをなんとか再生したいという想いから生まれたのでしょう。普通ならその部分を目立たないようにするところですが、金継ぎは、堂々と補修箇所を見せます。つくろいのために手を加えた部分までも、ひとつの景色として味わうのです。使いなじんだものに新たな表情を加える、といった感じでしょうか。
本漆を使う金継ぎは、漆が乾くのに時間を要するため、3週間から長いものでは数カ月もかかるといいます。そこまでして使い続けたいと思うのは、そのものに愛着があるということ。「買って、使って、捨てる」というサイクルがあたりまえのようになっている今の暮らしとの違いを思わずにはいられません。

糸偏のつくろい

今のように衣類が使い捨てではなかった時代、主婦の仕事の中で大きな割合を占めていたのは、つくろいものでした。元気に動く子どもは、ほころび、引き裂き、靴下の穴あきなどは当たり前で、ズボンの膝が抜けたりセーターの肘が抜けたりということもしばしば。そうした家族の衣類の補修を、主婦が一手に引き受けていたのです。衣類が安くはなかったということもあるでしょうが、もともと日本には、きものから布団や座布団へ雑巾へと、布を使い尽くす伝統があります。1枚の布を大切に扱うという意識が、「つくろい」をさせたのでしょう。一針一針刺しながらつくろうことで、それを身につける家族のことを思い遣る時間になっていたのかもしれません。
また、糸の色を考えたり、肘当てや膝当てにアップリケや刺し子を施したり、膝の抜けた長ズボンを半ズボンに作り替えたりと、さまざまな工夫をする楽しみもありました。そこには、仕方なく補修するのではなく、創造性を発揮してつくろい自体を楽しもうという姿勢が見てとれます。「糸偏」に「善い」と書くように、「繕う(つくろう)」ことは、糸を使ってよりよくする作業。「つくろう」には「よそおう」の意味もありますから、創意工夫したつくろいは、この言葉の深い意味をあらわしていると言えそうです。

つくろう道具

チェコには「ジーベック(チェコ語でキノコ)」という、つくろい専用の道具があります。それはキノコの形をした木型で、靴下をかぶせて穴をかがるためのもの。今でも多くの家庭にこの木型があり、日常的につくろいものをするのだそうです。ジーベックとあわせて使う甘撚りの糸もあり、色数も豊富。どちらも、手芸用品店で普通に売られていて、価格は日常雑貨の範囲内だといいます。
今の日本で、靴下をつくろうための道具など、売られているでしょうか。そもそも、靴下のつくろいをする人が数多くいるとも思えません。手間ひまを考えると、買ったほうが安あがりのような気もします。しかし、つくろいのための道具が今も家庭の中にあり続け、家族のためにつくろいものをする時間的、精神的な余裕がある──そんな社会こそ「豊か」に見えると言ったら、言い過ぎでしょうか。あふれるものに囲まれた暮らしの中で、私たちは、一つのものをいとおしみながら使うという気持ちを忘れかけているような気もします。

猫などの動物が身体をなめて毛並みをきれいにととのえるのは、「毛繕い(けづくろい)」。鳥が飛ぶ前などに、くちばしで羽をととのえるのは、「羽繕い(はづくろい)」。いずれも、生きるために必要な行為です。人間には、「身繕い(みづくろい)」があり「取り繕い(とりつくろい)」があり、心の用意や心構えをあらわす「心繕い(こころづくろい)」という言葉もあります。「つくろう」という行為を日常の中に取り戻すことで、暮らしの景色が少し変わって見えるかもしれません。

暮らしの中には、「つくろうもの」がいろいろありそうです。みなさんは、どんな「つくろい」をなさっていますか?

研究テーマ
生活雑貨

このテーマのコラム