箸と日本人
新年へのカウントダウンが始まり、お正月準備に忙しい時期ですね。注連飾(しめかざり)や鏡餅などと一緒に、お正月用の箸を用意される方も多いでしょう。ナイフやフォーク、スプーンなどは家族で共用するのに、箸だけは「自分用」を決めて使うのが私たち日本人。自分専用の箸がありながら、お正月にわざわざ真新しい素木(白木)の箸を用意するのはなぜでしょう。
お正月の箸
農耕民族として生きてきた日本人は、長い間、自然を動かす目に見えない力を神とあがめ、畏敬の念を持って祈りを捧げてきました。豊作を願い収穫を感謝する祭りでは、神へのお供えとともに、必ず箸が添えられたといいます。命の糧を運ぶ箸は神の依代(よりしろ:神霊が招き寄せられて乗り移るもの)であり、祭の終わりには神の霊力が備わったその箸で、お供えのお下がりをいただき、健やかに暮らすための生命力をいただいたのです。そして、神事の際の箸は、その都度、穢れのない新しい素木(そぼく:色などを塗らない自然のままの木=白木)のものが用いられてきました。
お正月のご馳走を真新しい箸でいただくのも、同じ理由から。また、茶懐石に添えられる利休箸はそのとき限りしか使いませんが、客人を迎えるとき、その日、その人のためだけに箸を削るのを一番のもてなしとするのが、日本の心なのです。
一器多用の箸
世界の食事スタイルは、「箸食」「ナイフ・フォーク・スプーン食」「手食」の三つに分類されます。伝統的な箸食文化を持つのは、中国、朝鮮半島、日本、ベトナムの4つの地域。このうち、箸のみを使って食事をする作法が確立されているのは日本だけです。
箸だけの食事スタイルを可能にしたのは、箸の多彩な機能。ナイフ、フォーク、スプーンは、それぞれが切る・刺す・すくうといった単一の機能しか果たしませんが、箸は「つまむ、はさむ、押さえる、すくう、裂く、のせる、はがす、支える、くるむ、切る、運ぶ、混ぜる」といったことが、たった1膳(※註)でできるのです。そして、それを千数百年にわたって使いこなしてきたのが、私たち日本人。「世界一美しい」と賞賛される日本の料理様式はすべて箸を使うことから発達し、箸づかいの習慣が日本のすぐれた技術力を育んだといわれるのも、あながちオーバーではないでしょう。
※膳:箸を数える単位。箸2本を一対として1膳と数える。
箸づかい
何年か前のNHK大河ドラマ「篤姫」で、将軍家に輿入れする前の篤姫が行儀作法を見習う際に、大豆を一粒ずつ箸でつまみ別の器に移し替えるという訓練をするシーンがありました。篤姫に限らず、箸づかいの美しさはその人の品格をあらわすものとして、昔の日本では一般庶民の家庭でもこうした躾(しつけ)がなされていたのです。
京都に、240年以上の歴史を持つ箸の専門店があります。この店の看板商品の箸は、先がとても細いのが特徴。「お箸が太いと、かき込むような食べ方になってしまうけれど、細いと一粒のご飯のうま味も味わえるようになる」「一品一品お箸できちんとつまみ、食感を確かめながら食事ができると、料理の味も変わってくる」からだといいます。美しい箸づかいで食べものをしっかり味わうには、箸選びも大きくかかわってくるようです。
自分に合う箸
「箸は、ひとあた半」。ひと昔前まで、おばあちゃんはこう言って子どもたちに手頃な箸の長さを教えたといいます。「あた」は上代の長さの単位で、「親指と人指し指を直角に広げた時にその親指と人差し指の先を結んだ対角線の長さ」(手のひらの下端から中指の先端までの長さという説も)。だから、大柄な男性と小柄な女性では、箸の長さも違って当然なのです。
かつての日本では、毎年お正月には箸と下着を新しいものにするが一般的な慣習でした。特に成長期の子どもは1年で背丈が大きく伸びますから、それに合わせて箸の長さも変える必要があったのでしょう。
スプーンやフォークと違って、箸は自分だけの専用の道具です。だから、「よい箸」とは「自分にとって」一番使いやすいもの。長さはもちろん、重さや太さ、形状も関係してきますので、直接手にとって感触を確かめながら自分の手にぴったり合った箸を選ぶことが大切です。
「日本人の繊細な国民性は、手先や指先を器用に使う箸中心の食生活から誕生した」という人もいます。箸を使うことは、五感を磨くことにつながるのかもしれません。この辺でもう一度、箸という道具を見直すと同時に、ていねいに箸を使って食べる食事のよさも見直してみたいものです。
みなさんのご感想、ご意見をお聞かせください。