恩送り
街を歩くと、晴れ着姿の卒業生を見かける季節になりました。卒業や就職、結婚など人生の節目を迎えると、人は来し方を振り返り、ここまで自分を育んでくれた多くの人の厚情(=恩)を思い起こします。その恩を返すのは「恩返し」ですが、似たようで少し違う「恩送り」という言葉があるのをご存じですか?
恩返しと恩送り
「鶴の恩返し」といえば、与ひょうに助けられた一羽の鶴が女房となり、自らの羽根を抜いて美しい反物を織り上げる話。浦島太郎に助けられた亀は、そのお礼に浦島を龍宮城へ連れていきました。このように、「恩返し」は親切にしてくれた相手に直接お返しすること。受けた恩に感謝の意を表す卒業式の後の謝恩会などは、わかりやすい恩返しのかたちと言えるでしょう。
それに対して、誰かから親切や善意を受けたら、それを相手に返すのではなく、ほかの誰かに渡していくのが「恩送り」です。受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送る。そして、それを送られた人はさらに別の人に渡す。そうして恩が回っていくようになると、社会に正の連鎖が起きてくる、という考え方です。
たしかに、恩返しというものは、そう簡単にできるものでもありません。親や恩師への恩返しは、成長した自分の姿を見せることが何よりでしょうが、それには長い時間が必要です。でも、相手を限定しない恩送りなら、いま気づいた小さなことから始められますし、短い時間でもできます。阪神大震災で被災した人たちが、「私たちも多くの人に助けられたから」と東日本大震災の被災地に手を差し伸べたのも、まさに恩送りといえるものでしょう。
海外の恩送り
海外にも、恩送りに似た考え方があります。英語圏で言われる「Pay it forward(ペイ・イット・フォワード)」が、それ。「善意を他人へ回す」という考え方です。
2000年に制作された映画「ペイ・フォワード(原題:Pay it forward)」で、その言葉を知った方も多いでしょう。教師から「世界を変える方法を考え、それを実行してみよう」という課題を与えられて、中学生のトレバ―が始めたのは「自分が受けた思いやりや善意を、その相手に返すのではなく、別の3人の相手に渡す」というものでした。最初のうちは結果が出ず、本人も失敗だったと思い始めたころ、アルコール依存症だったトレバーの母親が動きだしたことで、事態は好転していきます。波紋は着実に広がり、トレバーの努力は報われていったのです。
この映画の原作になったのは、原題と同名の小説。その小説が生まれたきっかけは、作者の車が治安の悪い町でエンストしたとき、見知らぬ男二人が快く修理してくれたことだったといいます。
仏教の四恩
仏教では、人は生まれながらにして四つの恩をいただいているとされています。
国王(国家)の恩、衆生(しゅじょう:生きとし生けるもの)の恩、三宝(さんぽう:仏教徒の原点となる仏・法・僧)の恩、そして父母の恩です。そして、四恩(しおん)を自覚することが「恩義」であり、恩義に感謝することが報恩(恩返し)への道と説いています。
とはいえ、「親孝行したい時には親はなし」という諺があるように、特に親への恩返しは思い通りにはならないことも多いもの。でも私たちは、ごく自然に、親からもらった愛情を子どもに手渡しています。親たちもまた、その親から手渡された愛情を私たちに送ってくれたのでしょう。受けた恩をだれかに手渡すことで、生かし合い、支え合う。人間の生は、恩送りをすることによって連綿とつながってきたのかもしれません。
「国王(国家)の恩」「衆生の恩」は、いまの時代なら「地球の恩」と置き換えてもいいかもしれません。私たちは地球という限りなくやさしい生命体の中で護られ、生かされてきました。環境問題が深刻になっているいま、その地球のために何ができるだろうか
そんなことを意識しながら、身近な小さなことから実践していくのも、恩送りのひとつといえるでしょう。
「恩を売る」とは、見返りを期待して親切にすること。そうした見返りを求めずに世の中が回っていったら、どんなに素敵な社会になっていくでしょう。
実際、そうした動きはすでに始まっているように思えます。営利を目的としないNPO活動、被災地などでのボランティア活動、そして誰かの夢を寄付や出資で支えるクラウドファンディングなどなど。作家の井上ひさしさんは生前、恩送りのことを「今で言う共生です」と語っていましたが、今、それ以上のアクションが広まりつつあるのかもしれません。
恩送りという考え方について、みなさんは、どう思われますか?