これからの暮らしを考える
暮らしは、その国の文化の現れとも言われます。そう考えたとき、日本の暮らしとは、そして日本の文化とは、どのようなものでしょう。明治維新後の日本は、世界に追いつくことを第一の課題としてきました。「西洋化=近代化」という図式で、ひた走ってきたのです。もちろん、その間に日本人の美意識が消えたわけではありません。ただ、西洋の文化を前にして、日本的なものを貧弱とする風潮があったことは間違いないでしょう。
1933年、ドイツの建築家ブルーノタウトがナチス政権から逃れて日本に亡命したときのことです。桂離宮を見た彼は、自然と共にある簡素で簡潔なそのさまに涙を流し、動けなくなったといいます。ちょうどその時代、世界はそれぞれの国の様式を離れて、どこにでも通用する普遍的な新しい様式を求めていました。そうした活動の中心的人物であるブルーノタウトが、世界が目指す様式の神髄が日本の中にすでにあった、と言うのです。装飾もなく、荘厳でもない、極めて素朴な素材でつくる日本の建築や空間──ブルーノタウトは、そこに世界が目指す美意識の方向を示唆しました。そしてそのことは、日本人が自国の美意識に目を向け始める大きな契機にもなったのです。しかし残念なことに、日本は、近代化を進めながら日本の美意識を生かすという道を歩み続けることはできませんでした。その後の日本は第二次大戦へと向かい、そして敗戦。もののない時代です。戦後は、貧困から脱することが第一義となりました。こうしていつしか、「日本の美意識」という課題に正面から向き合うことを忘れた時代が続くことになります。
戦後60年がたって、日本は高度な経済成長を成し遂げました。もはやどこかに追いつくのでなく、自らを問い直す時代に入っています。私たちの暮らしとは、豊かさとは──そうしたことをいま再び考えるとき、日本人特有の美意識に注目するのは大事な糸口かもしれません。人口増加もとうにピークを過ぎ、家族という単位を超えた人間同士のつながりも必要になってきています。単なるノスタルジーではなく、現代の最先端の技術を駆使しながら、しかも簡素で簡潔な暮らし方をもう一度見直していくことができるかもしれないのです。
20世紀後半をおおったモータリゼーションは、その限界を迎えています。いまや車のない社会を目指し、もっと小さなパーソナルモビリティーの出現も間近です。大きな幹線道路をなくして、もっとヒューマンスケールの街に変わるかもしれません。インターネットのさらなる発展によって、長時間電車に揺られて働きに行く必要はなくなり、仕事場と暮らす場所がもっと近くになってくるかもしれません。
大きなものより小さなものへ。たくさんのものより少ないものへ。さまざまな価値観も変わっています。時代のベクトルは大きく変わろうとしていると言えそうです。
これからの暮らしについて、みなさんはどう思われますか?
MUJI HOUSE VISION 無印良品は、これからの暮らしの提案として「HOUSE VISION EXHIBITION IN TOKYO 2013」に「家具の家」という1/1スケールの展示ハウスを出店します。会期は2013年3月2日(土)~3月24日(日)まで、詳しくはこちらへ。