都市と自然の間を整える ─暮らしの近くの里山を探そう─
国土の66%が森林と言われる日本は、緑の多い美しい国と言われます。しかし都市の中でこうした緑を目にすることは、なかなかありません。決して緑がないわけではありませんが、人々が自由に散策したり、自然を楽しめるようにはなっていません。
かつての日本には、暮らしの近くに「里山」がありました。奥山と人里との境界にある、人々の暮らしに欠かせない雑木林です。そこでは農耕に必要な腐葉土を得たり、建築物に必要な木材を調達したり、薪などの燃料資源やきのこや山菜類などの食料資源も手に入れることができました。自然のシステムを持続的に運用してその恵みを得られるよう、人々は適度に手を加え、そのことで里山は里山として保たれていたのです。里にきれいな水を送るためにも、里山の手入れを怠りませんでした。山には原生林・自然林・人工林といった区別がありますが、里山はもっとも人間の暮らしに近いところにあって、人間によって管理された山。こうした目に見える身近な場所の緑が景観を生み出し、私たち日本人の自然観をつくっていったのかもしれません。
しかし、こうした里山も暮らしの近くからだんだん姿を消しています。特に1970年代以降、急激に増え続けた都市への人口流入で大規模なニュータウンが次々と開発され、里山が切り開かれていきました。生き延びた里山も、人が入ることが少なくなるにつれて荒れていきます。たしかに現在では、薪を燃料にする必要はありません。落ち葉からできる腐葉土を必要とする人も、多くはありません。実利がないからという理由で、里山に価値を見いだせなくなってしまったのが戦後の歴史です。その意味で、人と自然との「境界線=間」ともいうべき里山を、どう発掘して未来に手渡していくかが重要だと言えるでしょう。
最近は荒れた山の手入れのことや、林業の荒廃などについて、よく話題に上るようになりました。環境への意識が高まる中、里山についても話されるようになってきたのですが、そこに何かしらの新しい価値を見つけ出さなければならない時期に来ているような気がします。
人間にとって、「自然」とは何なのでしょう? いま、こうした根源的な問いかけが必要なときかもしれません。昔から、自然は人智の及ばないところ、偉大な力のある場所、神の領域とも思われてきました。自然にはさまざまな力があります。樹々の下を歩いたり、鳥の声を聴いたり、そこを通り抜ける風に触れるだけで、感覚が研ぎ澄まされ、忘れていた身体的な能力が呼び戻されることもあるでしょう。そこには、人間が生きていくための活力源になるようなさまざまなことが潜んでいるように思われます。そんな自然を身近で味わえるのが里山という場。現代人にとって里山は、燃料や資材といった実利を手に入れるための場ではなく、自然とつながるために必要な装置と言えるかもしれません。
どんなに便利なものに囲まれても、人間は自然とかけ離れては生きていけません。自然とつながることは、生きものとしての健全な姿に立ち戻ること。いまや数少なくなってしまった里山ですが、都市の中にある、または隣接する里山を、人間と自然界をつなぐ場としてとらえ直す時期に来ているように思います。そして、それを美しく整えるために手を入れていく。都市と自然の間を、もっと丁寧にデザインしていくことが必要ではないでしょうか。
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