くらしのノイズ
ノイズを広辞苑で引くと、「騒音、雑音」。もともとは、耳障りな音や心地よくない音を指して使う言葉です。コンピューターや通信、電気製品の世界では、電気信号や電波の乱れのこと。さまざまな分野で、受け手にとって不要な情報や過剰な情報を「ノイズ」と総称しているようです。私たちのくらしの中には、どんなノイズがあるでしょう。
ノイズの代表例としてよく引き合いに出されるのは、雑踏や車の騒音です。街中のアナウンスや呼び込みなどの声は、たしかに人を疲れさせる気がします。買い物の場で品物を選んでいる時などは、メガホンやテープで繰り返される販売トークに集中力を妨げられることもあるでしょう。駅や電車内で注意を喚起するアナウンスも、度が過ぎればノイズになってしまうかもしれません。
ある人にとって心地よい音が、別の人にとってはノイズになることもあります。例えば音楽。自分が聴きたくて聴いているものは心地よいのですが、隣家や隣席から漏れ聞こえてくる音楽を「うるさい」と感じた経験は多くの方にあることでしょう。どんな素敵な音楽も、無理矢理聞かされるとノイズになるのです。
視覚的なノイズもありそうです。その例としてよく挙げられるのは街中の看板。都市部では、明るすぎる街灯や夜通し煌々と輝く自動販売機など、夜の光がノイズになる場合もあるでしょう。
洗剤など日用消耗品のパッケージが「カラフル過ぎる」「デカデカした文字がうるさい」といった声もよく耳にします。そもそもそれらのデザインは、店の陳列棚に並んだときに人目を引き、さまざまな商品の中から選び取ってもらうことが主目的。それだけに存在感もあり、くらしの場ではノイズと感じられるのでしょう。商品情報を伝えることはパッケージの重要な役割なのですが、購入時点では必要だった情報も家に持ち帰った後は不要になることも多く、そこがむずかしいところです。くらしの良品研究所のご意見パークに「白い洗剤ボトルをつくってほしい」という投稿がたびたび寄せられるのは、売るためのデザインではなく「使うためのデザイン」が求められていることのあらわれなのかもしれません。
ノイズについて考える上で、面白い話を聞きました。自然の中の心地よい音を拾い集めて記録し、音源をアーカイブ化しているミュージシャンから聞いた話です。 森の中には、「森の耳」にあたる場所があるというのです。そこは、もっともノイズの多い中間層の音が消された場。その分、ふだんは人間の耳に届きにくい低い音や高い音がよく聞こえるといいます。樹木の種類、密集度、枝の張り具合、風の通り抜け具合、日照などいろいろな条件が絡んでくるようですが、森の大小に関係なく、こちらが意識して耳を澄ませていれば見つけられるものだとか。実際、案内されて行った東京都内の公園でも「森の耳」を探し当てることができました。そしてそこでは、灌木の葉っぱにあたる低い雨音や雨が地面に滲み込む音、水の音、鳥の声などがよく聞こえ、遠くの物音も耳に届いてきました。ノイズが消されると、心地よい音が耳に入ってくる。森を歩くと癒されるのは、そんなところにも理由があるのかもしれません。
「心地よい自然の音は常に存在しているけれど、勝手に入ってくるノイズによってかき消され、よい音に気づけない」──森の耳の話をしてくれたミュージシャンの言葉は、くらしのノイズを考える上でもヒントになりそうです。
気に入ったものに囲まれて心地よくくらすためには、自分にとってノイズと思われるものをできるだけ消していく作業が必要なのかもしれません。
くらしの中で、みなさんがノイズと感じるものはありますか? そして、どんなノイズ対策をとっていらっしゃいますか? ご意見をお聞かせください。
くらしの良品研究所の「ご意見パーク/ディスカッションボード」では、洗剤容器についてみなさんと一緒に考えていますが、ノイズの視点からのご意見も数多く寄せられています。
ご意見パーク > ご意見―750 洗剤(漂白剤・柔軟剤)用の詰替え容器に欲しい要素は何ですか?