「たたむ」と「たたみ」
「畳(たたみ)」の意味を辞書で引くと、「たたむこと」とあります。「たたみ」は、「たたむ」という動詞が名詞に変化した言葉。そして「たたむ」には、「折り返して重ねる」だけでなく、「積み重ねる」「表へ出さずに隠す」といった意味も。これらは、畳がどんな使われ方をしてきたかという歴史と関係しているようです。
農耕民族のじゅうたん
畳の原型は、雛人形のお内裏さまが座っている縁取りのある敷物。一枚が一人用で、板張りの床の上に敷いて、昼は座布団として、夜は寝具として、貴族たちが使ったものでした。当時の畳は、マコモ(イネ科の多年草)のムシロを何枚か重ねて綴じつけ、表面にきれいなイグサのムシロをかぶせ、麻の裏と縁をつけたもの。今でいうゴザのようなもので、柔らかく、くるくる巻いて仕舞うことができたといいます。必要なときにだけ敷かれ、ふだんはたたんでいたから畳(たたみ)なのです。
その後、時代を経て、部屋いっぱいに敷き詰める床材として使うようになったのが、現代の畳。今では畳の部屋のない家も増えてきましたが、やわらかな凹凸のあるやさしい感触は、フローリングの床では得られないものでしょう。「農耕民にとっての畳は、遊牧民にとってのじゅうたんと同じ」と書いているのは、万葉学者の中西進さん(「日本人の忘れもの」ウエッジ)。たしかに、「羊を飼ってその乳を飲みその肉を食べる遊牧民が羊毛のじゅうたんの上で憩う」ように、稲作をして米を主食にしてきた日本人は、「畳の上に座ることで初めて安心できる」のかもしれません。
早替わりする部屋
もともとが一人用の敷物ですから、畳の寸法は身体のサイズをもとに割り出されています。6尺という長さは、当時の日本人のほぼ平均的な身長である5尺に、1尺のゆとりをもたせたもの。幅はその半分の3尺。縦横の比率を1:2にしておくことで、2枚並べれば真四角になり、4畳半の部屋にも隙間(すきま)なしに敷きこめるというわけです。
工業デザイナーの秋岡芳夫さんが著書(「暮らしのためのデザイン」新潮文庫)の中で紹介しているのは、飛騨の高山の古民家で出合った「早替わりする部屋」。その部屋は床に分厚い杉板を張った板の間で、隣の薄暗い部屋には、はがした畳が何枚もたたんで積み重ねてあったそうです。それは、隣の板の間に敷く畳で、ふだん蚕を飼ったり織物をするときにはたたみ、仏事などでお客さまをするときにだけ敷くのだとか。畳をたためば作業用の板の間になり、畳を敷けばそこが座敷に早替わりする。そんな「一室多用」の部屋は、かつて日本中いたるところで見られた、と秋岡さんは記しています。実際、明治の中ごろに出版された室内装飾の本では、祝儀・不祝儀で異なる畳の敷き方を図入りで解説しているとか。こうしてみると、ジョイントでつなぎ合わせて使う現代のユニット畳などは、畳の原型に近いものと言えるかもしれません。
一器多用で一室多用
畳をたたまない時代になっても、私たちの暮らしには「たたむ」伝統が根強く残っています。布団は朝になったらたたんで押入れにしまいますし、座布団も必要でないときはたたんで(積み重ねて)押入れへ。ちゃぶ台は食事が終われば脚をたたんで片づけます。生活用具を「たたむ」ことで、畳の部屋は、寝室にも食堂にも居間にも書斎にもなる一室多用の自在性を持っていたのです。
もちろん、現代のLDKも一室多用を狙ってつくられています。しかし、「家具や家電に場所をとられて"たたむ伝統"が生かされていない」「畳の部屋は、夜具から食卓まで、なんでもたたむことで狭いけれど広く使えたけれど、LDKは広いけれども手狭(てぜま)」と秋岡さん。そして、現代のインテリアに一室多用の畳の伝統を生かすには、「一器多用」の考え方が必要だと指摘しています。
例えば部屋に大きめのテーブルを一つだけ置いて、食事も、お茶も、アイロン掛けも、子どもの宿題をみるのも、そこでする。不要なものを「たたむ(まとめて始末する)」ことで、スペースのゆとりはもちろん、それ以上の何かが得られるような気もします。愛着をもって使い込むことの大切さや、「豊かさ」の基準が所有するものの量ではないことに気づいたとき、暮らし方そのものが変わっていくかもしれません。
風呂敷はもちろん、取り外しのできる襖(ふすま)や障子(しょうじ)、入れ子になった器や弁当箱、お重
「たたむ」伝統は、自在性だけでなく、収納性や携帯性にもつながっていることに気づきます。
みなさんは、暮らしの中で「たたむ」という機能を、どのように活用していらっしゃいますか? ご意見・ご感想をお寄せください。