郊外のショッピングモールが町を壊す
日本の町が面白くなくなった、どの町も同じような顔つきをしている──そんな声をよく耳にしますが、状況はなかなか変わらず、人通りの途絶えてしまった商店街も少なくありません。一方、ヨーロッパあたりの小さな町では、ウィンドウショッピングしながら散策を楽しむ人々の姿を見かけます。同じように経済発展を成し遂げた先進国でありながら、こんなにも町の風景が違うのはなぜでしょう。
町の空洞化
日本で郊外のショッピングモールができはじめたのは、1980年代から。大都市への人口集中、都市整備が進み、中心市街地を囲むように整備されたバイパス沿いに、大きなショッピングモールがつくられていきました。日用品からブランド品までなんでも揃い、疲れたら休む場所も、食事をする場所も、そして子供が遊ぶ場所もある。そんな「便利な」店が、似たような顔つきで、日本中にできていったのです。そして、もともとあった商店街からは人の足が遠のいていきます。そもそも商店街にある店の多くは、家族経営の小さな小売店。他と差別化するための商品開発力があるわけではなく、状況はさらに悪い方向へと加速していきました。
一方、駅ビルの開発もこの数年で一挙に進んでいます。駅ビルの中で買い物をすませてしまうので、外の景色を見ることも、町を歩くこともありません。
移動するのは、駅ビルの中と家の間、そして家と郊外のショッピングモールの間だけ。さらには徒歩でなく車で移動するとなると、町の中に人がいなくなるのも当然です。こうして、人々の行動は郊外のショッピングモールと駅に二分され、その間の町は空洞化していくことになります。
町を楽しむ
店をのぞきながら、時々休んだり食事をしたりしながら、ぶらぶらと歩く。いわゆる「ウィンドウショッピング」は、「町を楽しむ」ことです。どこにでもあるショッピングモールではなく、個性的な店が並ぶ町を歩き、そこでしか発見できない掘り出し物を見つける。必ずしも目的の買い物がなくても、そこで思いがけないものと出会ったり、人と触れ合ったりする、そんな特別感が喜びになるのです。店主の顔が見える小さな店なら、たとえ買い物をしなくても、会話することで町との関係がずっと身近になるでしょう。さらに、「町を歩く」ことで、風景や建物など、さまざまな気付きもあるはずです。
町に関わる
大型のショッピングモールは、利用する人にとって、便利と言えば確かに便利です。企業の論理からも、来場者数が多く売り場効率のよい大型店舗は、都合のよい場所です。しかしその一方で、それが日本の町を味気ないものにしているという現実も否定できません。そうした店舗づくりの末にできあがる風景を少しでも変えるため、長い時間軸で考えて、違った方法をとることはできないものでしょうか。
突飛な話かもしれませんが、たとえば自分でお店をやってみるというのはどうでしょう。シャッター商店街と言われるように、今は、虫食いのように店を閉じてしまった空き店舗や空き地などもたくさんあります。これをチャンスととらえ、個人でお店を出してみるのです。どうせ空いているなら、安く借りて、貸し主も借り主も積極的に町に関与する。産直野菜や手作りのアクセサリーを並べたり、若いデザイナーとコラボレーションしたり、新しいビジネスをするのもいいかもしれません。
空いている「場」を活用する方法は、他にもありそうです。駅から近く交通の便もよい商店街を、学校にする、ギャラリーにする、カフェにする、図書館にする、食堂にする。いっそ、役場にしてしまう。小さなお店を出したり、仕事場にしたり、町に出て行くのが楽しくなるような、そんな使い方がもっとあるような気もします。
「自分の町」を取り戻すために、「愛せる町」をつくるために、市民が声をあげて実際に動きだす。そろそろ、そんな時代に来ているのかもしれません。
みなさんは、町についてどう思われますか? ご意見をお寄せください。